靖国神社批判派

 靖国神社へ首相の参拝があることを批判する人の中でも冷静になれない人は、何か自分の宗教の教義に反する教団に対するような憎しみに囚われているような様子ですね。他者の信仰はそれとしてスルーすればいいんじゃないかと思うのですが…
 久しぶりにブックマークを見にいってそういう感想を覚えました。


 私は米人の先生とご一緒して(というかむしろ誘われて)一度伺ったきりなのですが、別に邪悪なものでも何でもなかったですよ、靖国神社は。私はたまたま近親に先の大戦に行った者も亡くなった者もいないのでそこに特別な関係はないのですが、もし自分の近親者が靖国に祀られていたらそこに参りたいという強い感情を覚えたかもしれませんし、少なくとも今靖国に参拝したいという方をいかなる理由でも止めることなどいたしません。私にとってはあれをカルトという判断は到底できないんです。
 首相があれだけ「個人としての心情」と明言したのですから、単にスルーしてあげればいいだけなのに…(もう言質はとったでしょう)


 どうにも憲法の条文を正しく理解できない人がいるようで残念です。

公と私を考えるヒント

 結局、今日新潟県魚沼市の球場で、茨城ゴールデンゴールズの解散を撤回する萩本欽一氏がいたわけですが、個人的感情は別にしてこれは公と私というものと個人の関わりを考えるヒントぐらいの意味はあるように思えました。
 彼は球団関係者・選手・サポーターを背負っていたのですが、判断材料も乏しいままに解散を宣した彼にはその重みがどうも感じられなかったらしいですね。「自分の始めた球団だから自分のもの」ぐらいにしか感じられなかったのではないでしょうか? それは違っていたんです。
 公を体現する個人というのは、このように「背負わせられる」ものなんだと痛感しました。それは「私であって私でない」責務を負うものなんですね。


 考えがまとまったわけではありませんが、この筋で何か考えていきたいと思わせられています。

顔そのものがいやらしいと苦情を訴えるということ

 派遣社員ハラスメントを「ハケハラ」と称してみたらしいのですが、次の毎日新聞のコラムをご覧ください。
ハケハラ毎日新聞 2006年7月15日 東京朝刊)

 「A部長がセクハラ? ヨシ私が何とかしてあげるから具体的に話してくれる?」。Kさんは女性部長なので、他部の女性社員からもよく相談をうける。


 その日相談に来たBさんはいきなり泣き出した。「身体に触られたり、ヘンなことを言われたの?」。Bさんはかぶりを振る。「ヌードポスターなどが貼(は)ってある?」。それも違うらしい。「A部長がいやらしい顔で……」「胸をじっと見たり?」「ちーがーうーんです。顔そのものが、いやらしいんです」。Kさんは困った。「顔がいやらしいといわれてもね」。何とかしてあげられるものではない。(中略 強調は引用者)

 ここまで読んでちょっと絶句。
 そりゃあ個々人の好みというものがありますから、その人にとって顔つきがアレだなあと思う人も広い世の中には何人かいるでしょう。でもそれを「陰口」と思わずに、セクハラ相談に真面目に持ってくるなどというのは私の常識にはありません。時代が変わったで済ませることなどできませんね。まあこのコラム、ここから

 じっくり話してみると、根は深かった。A部長は派遣社員をやたら取り換える。「派遣は所詮(しょせん)使い捨て」が口癖だ。セクハラまがいのことを言って反論したら「取り換え」る。


 総務に相談したが、「派遣が条件に合わなければ取り換えるのは当然」と言われ万策尽きたBさんは多くの派遣社員の声なき声を代表してKさんを巻き込み「社員からのセクハラ相談」の形で逆襲を企てたというわけだ。
(後略)

 というように続けて、「派遣ならハラスメントして良いわけがない」という結論で「ハケハラ」につながるわけですが、最初のインパクトが強かったせいか、どうにもこちらで書かれる「根の深い事情」のほうが何だか記事の体を整えるための後付けの理屈に見えて仕方ありません。


 身体の障碍などその人がどうしようもないことで「からかう」だの「仲間はずれにする」だのということが下品な振る舞いであることは言うまでもありませんが、その人に正面きって不快を表すなどの行為も全く同様のことだと思います。
 いやらしい顔だと人のことを決め付けるのも、これに準じるように感じますね。ここでBさんに悪気が無さそうなのがさらに気持ちが悪いです。まったく無自覚なのでしょうか。それとも、立場の弱い者がそういうことを言うのは許されると思ってしまっているのでしょうか。もし彼女の周囲でそういう感想が主流だとしても、それを外部に出すことにためらいはないのでしょうか。(あえて好意的に解釈すれば、派遣社員に高圧的な態度を取るA部長の顔にその態度ゆえの卑しさがあったのだということも考えられなくはないのですが、どうもそういう文脈ではないように見えます)
 人の心のどろどろの中にあったとしても、これは表に出すべきではない、といいますか表に出しては恥ずかしい行為なんだと、ここでK部長はたしなめるべきだったと強く思います。「そんな常識もないなら、とんでもない逆襲が来るよ!」とはAさんに言って欲しい言葉ですね。