影との戦い(ネット右翼はいなかった)

 もともと「ネット右翼」なんて層・集団はいなかったんです。それは基本的には「無党派層」みたいなもので、既存のメディア批判の視点を持っちゃったような人がメディアの嘘に言いたいことを言うというのが一番厚い層ぐらいなもので、あとは大してまとまりなどなく「ネット上で勝手にやる人」が増えていたという「量」の問題だったと私は考えています。


 特定の思想や信条があったわけではない「無党派層」なので、わかりやすい善悪やら虚偽(だと思われたもの)に敏感に食いついて、お調子者が多ければそれは炎上などにもつながるといった具合。また、ちょうど60年代から70年代あたりの(当時の)「無党派層」が守旧的な保守政治やら権力、既得権益層に絡んでいく流れがあったように、90年代からこちらの「無党派層」にとっては守旧派としてのサヨクの言論や権力としてのメディアが絡むべき対象という感じに捉えられたのだったと思います。
 中島みゆきが「変わらない夢を流れに求めて 時の流れをとめて 変わらない夢を見たがる者たちと 戦うため」*1と歌ったシュプレヒコールの波が、今度は左派やメディアに向けられた(なぜなら彼らは変わらない夢を見ようとしているから)という単純な話だったのです。
 それこそ古代エジプトの昔から「最近の若い者は…」という言葉があったのと同様、新しくやってきた世代は「その前の世代の正義」に異議を唱えるというのも延々と繰り返されてきた人の社会の営みなのでしょう。


 最近では「自然が芸術を模倣」するように「ネット右翼」を自称される方も増えてはいますが*2、もともとその呼称は左派を自認する人たちが「自分たちを攻撃するものは右派に違いない」と思い込んでつけたラベルでしかなかったのだと私は考えています。だからそれは影との戦いだったと…。
 およそ無党派層に対して社民党共産党に投票しないからお前は右翼だとか、民主党に入れないからアンチ・リベラルだとか言っても無駄なこと。それぞれが定見と言いますか固い信条を持たず、むしろ是々非々で動いている集団に対して右か左かの二分法的に迫るのがどれだけ滑稽なものかはいうまでもありません。
 先日もymScottさん@Scott's scribble -雑記 のの「ネットイナゴ」も終わりだな。という記事で

「コメント欄に居座って炎上させてる人のことを『ネット右翼』と呼ぶのはイデオロギー的に偏ってしまうので、もっと中立な名称で呼ぶのはどうか」


という話で生まれた「ネットイナゴ」という呼称が、ものの見事に「自分の気に入らない意見を言う人に貼るレッテル」に変化していく様をリアルタイムで見れるのは、感動すべき事柄なのか絶望すべき事柄なのかどっちだ。

 というように言われていましたが、まったく同感です。ネット右翼などという呼称は、もともとイデオロギー的な(変な)呼び方だったのです。それで中立的に呼び方が考えられたという見方は重要だと思います。
 話題になった、池田信夫blog「はてなに集まるネットイナゴ」は感心できる内容ではなく評価しませんが(むしろ釣りにしか…)、

 2ちゃんねるなどで、韓国や中国を差別する連中を「ネット右翼」と呼ぶが、前にも書いたように、これは正確ではない。当ブログの記事についての反応を見ると、「慰安婦」のような話題については、たしかに賛同する意見が圧倒的だが、デジタル放送や著作権法などの話題では、むしろ反政府的な意見が共感を集める。彼らが朝日新聞を攻撃する理由は、政治的な保守主義ではなく、知的エスタブリッシュメントへの反発なのだ。

 うっすらと「ネット右翼」という呼び名のおかしさに気づかれているのだなあと、それだけは頷けます。
 Wallersteinさん@塾講師のつぶやきの「厚顔無恥な連中を無敵ならしめないために」という記事で

 「ネット右翼」とひと括りにされる言論内部においても、ネット上で非現実的な戦争賛美を行なったり、他国を貶めるような言論を為す者を「憂国酷使」と呼んだり、嫌韓的主張を繰り返す者を「韓国面に堕ちた」と言ったりするそうで、「ネット右翼」とひと括りにするのは、その意味では「ネット右翼」側の動きについていけない、という致命的誤りを犯すのではないか、と思う。というのはレベルの低い、「ネット右翼」内部でも相手にされないような稚拙な言論を批判して「ネット右翼」全体を否定したような気持ちになって、結局足をすくわれる危険性がある。

 と書かれていたのには、ようやく左派の方でもラベリングの間違いに気付き始めておられるんだとちょっと安心しました。でももう一歩踏込んで、そこに「無党派の大きな層がいるだけ」ではないかとちょっと考えてみられてはどうかと…。


 すでに陳腐化しつつある「社会の右傾化」というような言い方ですが、これも単に「左派が以前より信を置かれなくなった」というだけのことではないでしょうか。しっかり腰を据えて右派をやっているような方々はまだ少数にしか見えません。結局最大の層は「右でもなく左でもなく」それぞれがそれぞれの判断をしている人たちでしかないのだと私には感じられます。
 ですので、leftyさん@左翼というのはプライドたりえるのだろうかの「左傾化する2ちゃんねる」で、

 かつて「2ちゃんねる」と言えばネット右翼の城だったはずなのですが、最近はそうでもないようです。

 と書かれているのはむしろ当然。わかりやすい「悪」だの「不正義」だのが自民党とか官僚のほうに見られたならば、保守かどうかなどは(最初から)考慮されずそちらが叩くべき対象になるというそれだけのことなのだと思います。流れがそちらに向けば、つられて動く人が出るのがこの層なのですから。


 北朝鮮が拉致をしていたとなればその「悪」が攻撃され、中韓が妙な発言をすればそれが笑われ、TBSがごまかしをすればそれが罵倒され、左派が教条的ならばそれが嘲られるのと同様に、アメリカが自分勝手なことをすれば批難され、右派があまりに幻想的なことを言えば酷使さまと言われ、社保庁が酷すぎれば叩かれるのです。
 なにより左派が「自分を攻撃する集団があるに違いない」と思い込んでしまったことから「ネット右翼」なる呼称ができてしまいましたが、これが相当大きなミスリーディングでした。ここらへんの捉え方を変えるだけでも「無党派層」への対応の仕方は変わり得るでしょうし、自ら変えるべき点は変えるという謙虚な姿勢がだせるならば、風はまたどっちに動くかわからないと思います。ただただラベリングして攻撃しても「自分の影」は切れないのですから…。

*1:中島みゆき『世情』1978、⇒歌詞

*2:最初から一定の数の右派的考えの人はいたのです。でもそれは決して多数派ではないのでは?

整理

 だらだら長く書いてしまったので整理
・「ネット右翼」と呼ばれたのは、ネット上で自由に自説を述べる「無党派」的な層
・彼らが目立ったのは「量」が一定以上集まったため
・この層は固定した立場は持たず、その時々の判断で声を出す人たちがほとんど
・左派の人たち(こちらは一定数が顕在的にいた)が自説を批判されて、自分たちを攻撃する右派層がいると思い込む
・それで「ネット右翼」と名づけたが、これは的外れだった
・この層は基本的には皆勝手にしているだけで、グループを形成などしていなかった
・この層は、わかりやすい不正義や悪に絡むという傾向が見られた
・最初に目立って絡んだのが「メディア」の嘘や「サヨク」の言説など
・でももしかしたらそれは「前の世代の正義」だったから攻撃されたのかもしれない
(・あるいは言論界では左派が主流派で、「自分たちの正義」を疑ってもいなかったので足をすくわれたかも)
・従来から右派の人や保守派の人はいたけど、現在も多数派には見えない
・是々非々で動く無党派層がそちらについていたように見えただけで、実はこの層はわかりやすければ右でも左でも関係なく叩く
…というようなことを考えていて、それを書いてみたという次第。


 もしかしてまた代替わりしたら、今の「右傾化」とか適当に言われている層が今度は攻撃されてくるかも…