宗教関係サルベージ「仏教」

 Brittyさんが「仏教って知られていないよね」という記事を書かれてました。この日記では今までおおよそ80日ぐらいの宗教関係記事がありますが、まあ一度書くとなかなか繰り返しはしないもので、結構その時限りになってしまってるかもしれないなあと思います。しばらくサボっていたもので、肩慣らし(になるかどうかわかりませんが)いくつかサルベージしてアップしてみたいと思います。
(それぞれの記事にはそれなりの脈絡があったりするのですが、まあそこらへんは…)

仏教の流れ(20050719)

仏教以前

 古代インドにおいては仏教以前にバラモン(インドの四姓制度の最上位の僧侶)階級を中心に、ヴェーダ経典に基づく自然宗教がありました。今現在あるヒンドゥー教は、およそ紀元前3世紀ごろからこの宗教が他の土着の要素を吸収して変貌しつつ成立したもので、そのヒンドゥー教と区別するため西洋の学者がこの古い宗教にバラモン教(Brahmanism)と命名したのです。(広義のヒンドゥー教はこの古層のバラモン教も含みます)


 インド・アーリア人がインダス河中流域(パンジャブ地方)に進入し、東進していったのがおよそ紀元前1500年頃です。彼らは四姓制度という身分制度を社会の中心に、根本聖典ヴェーダを編纂し多神教であるバラモン教を発達させウパニシャッド哲学を成立させました。


 ウパニシャッドの語義は(梵と我に究極する大宇宙と小宇宙の相応を説く)「秘説(秘儀)」という意味で、古ウパニシャッドと言われる13篇の文献が重要とされます。そこで語られるのは、宇宙の最高原理(ブラフマン:梵)と個体の究極原理(アートマン:我)の関係から宇宙の根本原理を探る試みであり、「梵我一如」という思想が有名です。またそこではすでに「業」「輪廻」「解脱」の思想が仏教に先んじて成立していましたし、それは後のインドの思想・文化の中核となっています。

初期仏教

 仏(buddha)というのは「覚者」の意味で、「真理を悟った人」という用法がインド一般に仏教以前からありました。仏教(buddhism)においては開祖シャーキヤムニ(釈迦牟尼釈尊)を指します。


 釈迦というのはゴータマ・シッダールタ(B.C.463-383頃、一説にB.C.566-486頃、南方伝承ではB.C.624-544頃)の属した種族の名前です。彼はシャカ族の王子として生まれましたが、人生の問題に深く悩み、29歳で出家します。彼はバラモンの道を求めず、それを批判して自由な道を選びます。禅定を中心とした6年(または7年)の苦行でも悟れなかった彼は、樹下の沈思瞑想の後35歳で大悟したとされます。この時「覚者」となったことからブッダと呼ばれるのです。

 釈迦の教えは、人間の生きるべき道を明らかにしたのであり、この道をダルマ(dharma 法)と呼んだ。人生の苦しみから脱し、迷いの生存(輪廻)を断ち切って自由の境地に至る。それが解脱であって、涅槃という。そのために、その関係性(縁起)を明らかにしようとした。その実践として、道徳的に悪い行為をせず、生活を清める。それは八正道の実践であり、中道のことでもある。
(岩波『仏教辞典』「釈迦」の項より)

 詳しくは仏教の入門書などでどうぞ(渡辺照宏『仏教』岩波新書など)。こうして成立した仏教は普通「原始仏教」と(最近は根本仏教とも)呼ばれ、釈迦が始めた統一原始教団が入滅後1世紀経って部派に分裂するまで、または紀元前3世紀のアショーカ王時代の頃までの初期の段階として捉えられるものです。(その後、大乗仏教が生まれるまでのものは多くの学派にわかれていたため部派仏教と呼ばれます)

 原始仏教の中心的な教理としては、最初説法で説かれたといわれる四諦八正道・縁起・五蘊の無常苦無我の説や、後になってまとめられたと思われる戒・定・慧・解脱知見の四法の教説などがあげられる。

 原始仏教や部派仏教の時代の仏教は、俗世を捨てて出家し、学問と瞑想に専心して阿羅漢という聖者になることを最高の理想とするものでした。(仏滅後、未来世において弥勒が下生するまでは仏陀は存在しないと考えていたからです)

大乗仏教運動

 ここで紀元前後を中心に仏教の宗教改革とでもいえる革新運動が起きてきます。これが大乗(mahayana)仏教です。大乗仏教は「仏陀」になることを理想とし、自らを菩薩と呼びました。この運動では過去仏未来仏はもちろん、現在でも十方世界に無数の仏陀(=ダルマを体現する者)がいると信じられています。修行の仏教から信仰の仏教への発展であると捉える方もおります。


 この運動の母体となったのは仏塔信仰の信者集団であろうと研究されています。ゴータマ・ブッダが入寂した時、遺体の火葬、遺骨の採集、遺骨を納める塔(ストゥーパ)の建設と供養は在家信者たちによって行われました。そしてここに集い、仏塔を崇拝した信者たちが教団を形成し、それが宗教改革の核となったのです。


 大乗という言い方は「大きな(マハー)・乗り物(ヤーナ)」という言葉から来ていますが、これは従来の部派仏教の出家たちのやり方を「自己の救済に専心するもの」すなわち「小さな(ヒーナ)・乗り物(ヤーナ)」であると批判するスタンスからの言葉です。ですから、現在でも大乗以前の流れの仏教(たとえばスリランカなどの南方仏教)を信ずる人に向かって「あなたは小乗仏教ですね」というと気分を悪くされます。そういうときは「あなたは上座部(Theravada テーラヴァーダ)仏教ですね」と言わなければなりません。
(以下少し略)

仏教の流れ その2(20050720)

般若経

 大乗仏教を語る上では般若経般若波羅蜜経 prajna - paramita - sutra)を欠かすことはできません。それが「大乗を最初に宣言した経典であり、名実ともに大乗仏教の先駆を果たした」(岩波『仏教辞典』)ものだからです。

 般若経とは単一の経典の名ではなく膨大な文献の一大集成の総称です。漢訳で数えても「大正新脩大蔵経」の場合で四十二篇もあります。中国では古くからその主要なもの十篇を取り上げて「十本般若」と称します。とは言えその大部分は「大般若経」とそれに含まれる部分の特殊名となっています。

《 十本般若 》

  「小品般若」 (『大般若波羅密多経』第四会)

  「大品般若」 ( 同、第二会 )

  「仁王般若」

  「金剛般若」 ( 同、第九会 )

  「般若心経」

  「濡首般若」 ( 同、第八会 )

  「文珠般若」 ( 同、第七会 )

  「勝天王般若」 ( 同、第六会 )

  「大般若」 (『大般若波羅密多経』)

  「理趣般若」 ( 同、第十会 )

※「会」とは「会座」の意で、仏が教えを説く会合をいいますが、中国では内容に応じた分類として「大般若経」が第一から第十六会に分けられています。訳者や、訳出の時期は多様です。
 この中の「小品般若(八千頌般若)」に「大乗」の語が初出(と昔の本にはでておりましたが、現在は小品系と呼ばれる「道行般若経」の最初の部分が最古と決着がついたそうで、そこに「摩訶衍(=大乗)」の言葉がある)ということです。

 般若波羅蜜多経とは大乗仏教徒の理想の実現のための思想と実践を説くものであり、般若の名を(部分的にでも)持つ教典類を「般若経」と呼びます。これは新思想の表明だったのです。

波羅蜜

 釈尊が在家者として実行した修行とされるものに「六波羅蜜」というものがありました。この波羅蜜(paramita)には「究極の状態・境地、完成」とか「到彼岸」などという意訳もあります。その六種とは、布施(dana)・持戒(sila)・忍辱(ksanti)・精進(virya)・禅定(dhyana)そして般若(prajna 完全なる認識=智慧)であり、もともとはこの同列の六支和合が目指されたものです。

 しかし般若経典は、この般若波羅密を六波羅蜜の根本、五支をそれぞれ波羅蜜まで高める最も重要なポイントをなすもの(全体を統括したもの)と位置づけます。それが釈尊の在家時代の修業(実践)の眼目だとした解釈がなされるわけです。 →「菩薩の実践の総ては、ここに統一される」

 仏道の為の実践・菩薩の実践を波羅蜜と名づく
(『大智度論』)

菩薩

 それではこの菩薩(bodhisattva 菩提薩)というのはどのようなものでしょう。その言葉は bodhi + sattva から来ていて、前者は「悟り・目覚め」後者は「存在する者・いきとしいけるもの・意識ある生き物・勇者・有情・有心」の意味があります。(sattvaの旧訳は衆生です)
 それは「悟りを求めている有情で、しかも悟りを得ることが確定している有情」とも「悟りを得ようとしている有情(衆生)」とも解釈されますが、大乗の教義的解釈では

 悟りの真実を携えて現実の中に降り立ち、衆生のために実践(慈悲利他行)し、悟りの真理によって現実社会の浄土化に努める者のことをいう

 とされます。

 三乗という言い方があります。この「乗(ヤーナ)」は大乗の乗で「衆生を悟りに導いて行く乗り物」の意です。大乗の言い方ですがこれらは

声聞乗・小乗  「四諦の理」を知ることによって悟りへ →阿羅漢(迷いを断った者)へ
縁覚乗(独覚乗)「十二因縁」を知ることによって悟りへ →辟支仏(独り悟る者) へ
菩薩乗・大乗  「六波羅蜜」を修業することによって悟りを得る →成仏が目標
 と位置づけられまして、その目的は仏陀のまねびから仏になること(成仏)とされているのです。
 ここに「凡夫の菩薩」の出現があり、信仰の仏教が始まるといわれるわけです。菩薩とは人が仏に近づくための遠い一階梯と言えるかもしれません。

大乗仏教の特色

 これはいわゆる「小乗」との比較でみるとわかり易いです。もともと「小乗」的仏教の改革運動として出てきたものですから。
 まず「自利利他の教理」という主張がなされています。これに対して「小乗」は自己の救済に専心するものです。次に「在家と出家を一貫する仏教」という面が挙げられます。「小乗」は出家主義の仏教でした。在家には最終的な救いは与えられなかったのです。また何より大乗仏教釈尊の在家時代の修行(六波羅蜜)を通じて成仏を目指すものです。「小乗」では阿羅漢がその理想であり目的でした。
 そしてこうしたことから大乗仏教は「賢愚・善悪の人々を併せ救う広い立場の仏教(慈悲行であり「行」とともに「信」をも重んじるもの)」として発展します。これは仏身論の発達といわれますが、要するに救済者としての仏陀観が重きをなすようになったということです。対するに「小乗」では仏陀は導師に留まり「法」という原理が重んじられるのです。


 行の仏教は難行道に、信の仏教は易行道に通じます。これは総ての人を救いもらさないという大乗の理想によるものです。

 また総ての人が「菩薩」になり得るという信から、成仏の保証のない凡夫でも菩提心をおこす(発す)ことによって「我は菩薩である」と称し得ることにもなります。菩提心を発すとは、釈迦菩薩の歩んだ道と同じ道を自己もたどろうと六波羅蜜を実践してゆく決意をすることです。(ただし後には、意志の弱い者でも成仏を目指せば菩薩であるとされるようになります)

「空 sunya」の思想(教理)

 「般若波羅蜜とは、一言で表すならば智慧の完成であり、その内実を空の思想が支える」(岩波『仏教辞典』)と言われます。この空とは、般若波羅蜜(の境地)に達したとき開顕される真理であり、それは「無所得・空」の世界の認識(空智)言い換えるなら「空性 sunyata」の認識です。(「空」〜ゼロ・零。「空性」〜空なる状態・性質。ただし「空」≠「無」)

 後の中観派における「空」は「縁起」の理法に対する大乗の新しい表現とされます。この存在としての「空」の捉え方ではそれを「変化の媒介性」(≠「虚無」)としているようです。全ては関係性に解消されるが故に実体とはみなされないということのように私には思えます。

 それを「転換の論理」と捉え、排中律をこえるとも言う方もおられます。
 ここらへんは教義の問題ですので、あまり深入りしないでおきましょう(笑)興味のある方はぜひご自分でお調べください。以下に参考文献を並べます

 参考文献
「大乗仏教の教理と教団(平川彰著作集第5巻)」平川彰 著、春秋社、1989.
「講座・大乗仏教大乗仏教とは何か」平川彰・梶山雄一・高崎直道 編、春秋社、1985.
「講座・大乗仏教 2  般若思想」平川彰・梶山雄一・高崎直道 編、春秋社、1985.
「講座・大乗仏教 7  中観思想」平川彰・梶山雄一・高崎直道 編、春秋社、1985.
「般若思想史」山口益 著、法蔵館、1978.
「龍樹・親鸞ノート」三枝充悳 著、法蔵館、1983.
「アジア仏教史 インド編 大乗仏教中村元・笠原一男 他 編、佼成出版社、1986.
「仏教経典の世界 総解説」石上善應 他 著、自由国民社、1990.
 (※昔レポートを書いたときの参考文献をそのまま挙げておきます)

時代の移り変わり

 というように大上段に書くのも何ですが(笑)、ふと気付いてみると昔当たり前のように家庭にあって今はほとんどかえりみられていないものって案外あるように思います。で、気付いたのは「缶切り」とか「栓抜き」ですよ。
 栓抜きは、自宅では確か去年の夏に一、二度ホッピーを買った時に使ってからしまい込んだままです。
 それもあのY型と言いますか栓抜きに特化した形のものじゃなく、缶切りと一体化した棒状のものでした。
 缶切りもたぶん去年の春先に輸入缶詰(ホールトマトだったか)を開けて以来ご無沙汰だったんです。
 もちろんそれは上の栓抜き一体型のもので、昔よく見たゼンマイのねじの回すところが刃にくっついたみたいな形(横から見ると35ミリ映写機みたいなシルエット)のもの(缶切り専用)ではありませんでした。


 王冠がついた飲み物を買うことがほとんど無くなり、プルトップじゃない缶詰がめっきり減ってしまったから…ということはわかっているのですが、あと一、二度引っ越しすればほんとに無くしちゃうんじゃないかと思ってしまいます。
 三十年も前にはどこの家庭にもあったはずなのに、今は若い人の世帯ではもしかしたら本当に無かったりするんじゃないでしょうか?