ボナンザは電気羊の…(以下略)

  大和証券杯特別対局ボナンザ戦。その2(当日編)

その、ボナンザを「親友」と呼ぶ松本さんから対局前日に電話がありました。


「もしもし。今、ボナンザが会場に来たんですけど今までの数倍読むらしいですよ(嬉しそう)レーティングは2800だってー(嬉しそう)では頑張って下さいね」この人はどっちの応援なんだ

 将棋の渡辺明竜王がコンピューター将棋ソフト「ボナンザ」に勝ったというニュースがありました。(「大和証券杯ネット将棋・最強戦」のプレイベント)

 ボナンザは、東北大大学院で化学を専攻する保木邦仁さん(31)が趣味で開発したソフトで、昨年5月に行われた第16回世界コンピュータ将棋選手権に初出場で優勝している。今回使ったコンピューターでは1秒間に400万局面を先読みすることができる。 
 (YOMIURI ONLINE 渡辺竜王、最強の将棋ソフト破り面目保つ 070321) 

 冒頭の引用は対局のご当人である渡辺明氏の「渡辺明ブログ」からのものです。ボナンザ戦に向けての気持ちや対策、そして対局と感想などとても面白く今注目を集めています。
 対局は渡辺竜王が指した手を保木氏が見てPCに入力し、ボナンザが計算し、そしてボナンザが画面に示した手を別の人が盤上に打つという形式で行われました。入出力はこのように人間が補っていますが、渡辺竜王は紛れもなく「ボナンザ」と対局しているという感覚を持たれています。
 ボナンザが「思考する対局者」として渡辺氏に現れているということは、それが「人」の「格」に似た何かとして存在していると言うほかありません。

△7二飛で角銀交換になるので後手必勝。これを期待していたのですが今日のボナンザはやってきませんでした。後で聞いたところ、ボナンザは参考図の▲7一角を読んでいたものの、思いとどまったそうです(笑)


▲7一角をやってこなかったので「今日のボナンザはちょっと違うな」と感じました。

 「くるみちゃん」でも「伺か」でも「ししゃも」でも*1、ほんのちょっとした応答で私たちはそこに何か思考する存在の影を見てしまうものです。

 アラン・チューリングの立場
 思考の過程は問う必要がない。結果として理性的に応対がなされれば、それは思考しているとみなすことができる。その前提で、一定の様式で演算を遂行する機械(チューリング・マシン)でも思考していると考えることができる。

 人は時に動物、植物、そして無生物にさえも「人」と同じ「格」を与えて対します。その時は自分と同じ「考える存在」としての在り方を感じているのだと思います。anthropomorphic(擬人観的)なその捉え方は、単純な錯誤ではありません。*2


 人が「何か」に対してこの「人格的なものの付与」を行えないとすれば、おそらく他者に対しても人格を見るといったことは不可能になるのではないかと私は考えています。


 自分が見た夢のことを語られる場面があります。時々あちこちのブログでも見かけます。でもそれは言語化した夢、夢のサマリーのようなものです。他者の夢を体験することは誰にもできません。あくまでそれは「自分が見た夢体験」の投影で理解できているだけなのです。
 他者の思考も全くこれと同様で、直接的な追体験を許すものではありません。にもかかわらず私たちがそれを理解できると感じたりするのは、先にその他者の体験が自分の体験と同格だと信じられているからです。言い換えれば他者が自分の自我と同格の他我を持ち、「人」として同じ「格」を持っているという信憑があればこそ「理解できる」と感じられるのです。
 人ならざるものにそうした「人」と同じ「格」を与えるのは、人が他者を理解する仕組みが図らずもそのものに働いてしまっているということなのではないでしょうか。


 ボナンザがそうした「他者」として感じられるならば、どうして夢を見ないと考えていられるでしょう。
 彼女は確かに「電気羊」の夢を見ているのです。



 (参考)チューリングテストと他者認識

*1:みんな人工無能

*2:本当はこの議論には「(personの訳語としての)人格」とか「魂」とかいう(他の分野でしっかり色が付いている)語を使うのも不適当だと思っています。何かいい言葉を見つければいいのですが…