「信頼」のシステム

 身も蓋もない話ですが、人間が誰かを「信頼する」ということについて、脳内でのオキシトシンという物質の濃度や濃度変化が強く関わっているということが(相関というよりほとんど因果関係として)わかったといった記事を読みました。
 『日経サイエンス』10月号の「信頼のホルモン オキシトシン」という記事です。

 人間どうしが社会的にうまく機能するには,信頼が不可欠だ。しかし,新たに知り合った人を信頼すべきかどうか,私たちはどのようにして決めているのだろうか? 脳で作られるオキシトシンという神経伝達物質が信頼を築くうえで重要な働きをしていることが,「信頼ゲーム」という実験によってわかった。オキシトシンの機能や他の重要な脳内物質との相互作用をさらに研究すると,自閉症など社会的相互作用の不全を特徴とするいろいろな疾患について多くのことがわかってくるだろう。
 オキシトシンはたった9個のアミノ酸からできたペプチド(小さなタンパク質分子)で,信号を伝える神経伝達物質として働いている。また血中に漏れ出して脳と離れた組織にも影響を及ぼすので,ホルモンでもある。オキシトシンが果たす役割としては,授乳期の女性に母乳の分泌を促すことと,陣痛の誘発が最もよく知られている。その他の微妙な効果は検出しにくかったが,動物を対象にした研究から,ある種の動物ではオキシトシンが何らかの仕組みで協力を助長していることがわかっていた。
 そこで私は,オキシトシンが信頼の基盤となっていて,親密な関係を生むための必要条件なのではないかと考えた。血液試料中のオキシトシン濃度のわずかな変化を信頼性高く短時間で計測する方法が開発されたので,私たちはこの仮説を確かめる実験を行った。(後略)

 筆者のザック氏は変わった経歴をお持ちの方で、「クレアモント大学院大学の経済学教授で,同大学の神経経済学研究センターの所長(創設者でもある)。ロマ・リンダ大学医学センターで神経学の臨床教授も務めている。」とのこと。文系理系の二足のわらじを履いてらっしゃるということです。


 アブストラクト的な紹介記事には書いてありませんが、もともとこの研究は経済学の研究として出発したということです。それは人間相互の社会的な「信頼」のあり方と経済の関連を調べるといった主旨のもので、相互の信頼感が社会にないということが経済的な貧弱さの指標となることがそこでわかったそうです。
 そしてザック氏はそこから「信頼というシステム」の有り様を研究する方向に転じ、目を付けたオキシトシンという物質で非常に有意な結果を得たということでした。
 この記事にもあるように、「信頼ゲーム(trust game)」とオキシトシンの経鼻摂取(プラセボも用意した上の厳密な実験)によって、「オキシトシン濃度のわずかな変化」が人間の「信頼を強めること,信頼に応える行為を強めること」を実証したのでした。


 これは結構重要な発見と言えるのではないかと、(人から借りてですが)読みながら少し興奮してしまいました。そしてさらにこの結果は

 私たちの研究室は現在,脳でのオキシトシンの働きが損なわれることが社会的相互作用の不全を特徴とする疾患に関係しているかどうかを精力的に調べている。例えば自閉症の人はオキシトシン濃度が低いが,通常の濃度に戻しても社会行動への参加はまったく増えない。オキシトシン受容体の機能不全を抱えているのかもしれない。

 というように、精神的な疾患への新たなアプローチになるかもしれないのです。


 また本文にもありましたが、私たちはこの発見を「新たな統治技術の発見」とかいう類のビッグ・ブラザーの手法として捉えなくても良いということで、少し安心です(笑)
 ヘリコプターでのオキシトシンの空中散布によって独裁者が云々という危険はまずない…というように記事にははっきり書いてあります。気になる向きはどうぞ日経サイエンスの10月号をお買いになってお読みください。


 もちろんそういう「物質」に影響されるとはいえ、私たちの「信頼」というものはまだまだ複雑な関係性の中に存在してもいる、とは思いますが…