ちょっと勘違いなジャーナリスト

 ⇒政権交代でも思考停止の日本メディアNewsWeek日本語版 TOKYO EYE)

今週のコラムニスト:レジス・アルノー

 8月30日の総選挙で民主党本部に詰めていたとき、私の頭に浮かんだのはこんなバカげた光景だった。日本のジャーナリスト5人に、次々と同じ質問をされたのだ。「政権交代をどう思いますか」


 そういう疑問に答えるのが、ジャーナリストの役目ではないのか。そもそもそのために給料をもらっているのでは。

 何年日本にいるのかわかりませんが、これは的外れの批判。
 その5人の日本人ジャーナリストは、日本の政権交代という出来事に対してガイジンがどう思っているか聞きたかったんですよ。自分たちがどう見られているか、それを紹介するだけでご飯が三杯もおかわりできるのが日本のジャーナリズム。
 それはそれで愚かしいのですが、この記事のアルノー氏はそういう機微を理解できずにお門違いな批判に走っているように思えます。

その場に居合わせたイギリス人ジャーナリストが私に言った。「よくあんな質問に答えましたね。あんなものはジャーナリズムじゃない。日本の記者はただ騒いでいるだけ。今夜、この国が根本から変わったことを理解していない」

 今回の総選挙で「この国が根本から変わった」と海外のジャーナリストが見ているとすれば、それはそれで十分記事のネタになるでしょう。おそらく現時点で「この国が根本から変わった」と考える日本人は決して多数派ではないでしょうから。
 私も含めてあの細川連立政権のあたりを記憶している人は、何か結果が出ない限り、単に日本の通常の制度に則って政権の交代が起きたからと言って国が根本から変わったなどと軽々には言えないはずです。


 日本のジャーナリズムが無定見で、叩く獲物を次々に変えるだけの、あまり能力の無い集団であるという批判はまあ残念ながらこちらにもそう思えるところがあります。それは、誰かがよってたかって叩かれているのに一番興味を示すのが日本の国民ということでもあるので、ジャーナリスト批判がそのまま耳が痛い批判にもなっているかもしれません。いたたた。


 でもどうでしょう。このアルノー氏が"優秀なジャーナリスト"らしいご意見を開陳しているとも感じられないのです。

 総選挙の晩、私は「これで日本も普通の民主主義国家になりましたね」と、日本人記者に話しかけた。彼女は困った顔をした。「『普通』ってどういう意味ですか?」「二大政党が交互に政権を取る国家、政治家が国民に対して責任をもつ国家です。今まで日本の民主主義は異常だった」。私の言葉が飲み込めないらしく、記者はそそくさと逃げていった。

 この人は可哀相に何らかの固定観念に凝り固まった頭しかないようにも思えます。二大政党が交互に政権を取ることが民主主義国家の必要条件ですか?少なくともフランスが、今の政権は国民運動連合(民衆運動連合)だったと思いますが、二大政党で動いていたとは初耳です。日本以上に激しい離合集散が続いてきたはず。
 むしろ日本で顕著に異なるのは、野党になっても良さそうな違う意見のグループが派閥として自民党に集合していたということなのであって、ここらへんがわからないというのも日本の政治を表面しか見ていないということかも…
 政治家が国民に対して責任を持つということは全くその通り、大事なことですが、今までの日本にはそういう政治家が一人もいなくて、一夜明けたら魔法のようにそういう政治家が出現していたというならば、これはまるっきり見る目がないなあと嘆息するだけです。
 ここらへん、多少なりともフランスが「民主主義先進国」であるという思い込み、場合によって傲慢にも思えるそうした先入見が抜けていない不勉強な人なのかもしれないと感じられるところでもあります。
 彼がただのはったり屋さんなのか、あるいは本当に先見の明があったジャーナリストなのか、それは今後の民主党の腕次第といったところです。さて、本当に「根本から変わった」と言える成果がでるのでしょうか?