平等を考える手がかり

「所得の格差が拡大」74% 本社世論調査

 「所得の格差が広がってきている」と思う人は74%で、そのうち7割の人が「問題がある」とみている。81%の人が「お金に困るかもしれない不安」を感じる一方、「勝ち組」「負け組」に二分する傾向には、抵抗を感じる人が58%――。朝日新聞社が昨年12月から1月にかけ郵送で実施した全国世論調査で、格差やお金をめぐる意識が浮かび上がった。「競争は活力を高める」「挽回(ばんかい)できない社会だとは思わない」との見方も共に6割を占め、競争社会それ自体は、前向きに受け止める姿勢がうかがえる。


 「格差社会」をめぐっては、小泉改革との関連で国会でも論争が続いている。「所得の格差が広がってきていると思うか」との問いに「広がってきている」と答えた人は74%、「そうは思わない」が18%だった。格差が拡大しているとみる74%の人に「広がっていることをどう思うか」と聞いたところ、69%が「問題がある」と答えた。この結果、全体の51%の人が「所得格差が広がってきており、問題がある」と認識していることが明らかになった。


 所得格差が広がっているとみる人は男性が77%で、女性の71%を上回った。特に40、50代の男性が共に83%で、最多だった。また、世帯収入に満足していない人ほど格差拡大を強く感じている。


 格差の拡大が問題だとする人では、格差が「個人の能力や努力以外で決まる面が多い」とみる人が54%だった。一方、格差拡大は問題ないとする人では、「個人の能力や努力で決まる」とみる人が72%と多かった。


 お金に関して自分が「勝ち組」だという意識を持つ人は3%、「負け組」が21%で、72%の人は「どちらでもない」と答えた。こうした二分法に「抵抗を感じる」と答えた人が58%で、「感じない」は35%だった。

 「競争」について「社会の活力を高めると思うか」と聞いたところ、59%の人が「高める」と答えた。また「いまの日本は、一度おくれをとると、挽回できない社会だと思うか」との問いには「そうは思わない」が60%だった。
asahi.com 2006年02月05日03時01分)

 実際こういう調査で難しいのは、質問に用いられる言葉が曖昧であれば回答も有効性を減ずるということです。いきなり「所得の格差が広がってきている(y/n)」と問う時、それは「格差があるグルーピングが存在する」という前提を押し付け、イメージさせた上での質問としか思えません。ある種の集団どうしの差に「誘導」する質問項目ではないかと。でもそういう質問をしておいて、「こうした二分法に問題を感じるかどうか」尋ねるなどとても香ばしいです。まあ58%の方が抵抗を感じたということは、なかなかまっとうだと私などは心強く思いますが…。


 さてちょっと興味深いのは「個人の能力や努力」というキーワードです。格差があるということを、「平等でないから問題だ」と単純に措定できないということはこの質問票を作った人も意識していたようですが、回答の方でも「個人の能力や努力」によるアドバンテージは認める人は少なくないですね。そしてそういう認識をはっきり持つ人の方が「格差」を問題視しない傾向があるようです。


 万人が等しく公平に扱われ、経済的にも同等の豊かさを享受できるという状態が、ある一つの理想だということは認めますが、こうした完全な結果の平等を求める試みが果たしてうまくいくのか、またその状態は本当に楽園なのか…ということには疑問を持ちます。
 結果の平等までは難しいにしても、公平に扱われるということだけは確保すべきとする機会の平等をお考えの方はそれなりに多いでしょう。ただしこの機会の平等に関しましても、どこまでを平等と考えるかについてはゆらぎがあると思われます。


 一定の学力の証明があれば、誰でも入試を受けられる…というような一見明白な入試に関する機会の平等でも、出願資格を「文科省で認める学校において高等教育を受けた者」に絞るのはおかしいとさえおっしゃる方々もおられました。例の「朝鮮学校卒業で大学出願させないのは差別だ」というあたりですね。これについてはかつての大検、今の高認(高等学校卒業程度認定試験)などがある以上、私には不平等とは思えなかったです。
 また「家の資力が乏しく、大学に行くことが考えられなかった」という人に関して、これを不平等と考えられる方もかなりおられると思います。それゆえ国公立大学の授業料が高くなるのは問題だという論調のブログもいくつか拝見しました。でもそれでさえ、私学にいった者が国公立に入ったものより極端に多く払うことになるのは不公平、という考え方もあるのです。国立大の授業料値上げに関しては、私学との差を縮めるというのも一つの大義名分だったのですし。
 さらには、センターの点数で「足切り」するのは門前払いだから不公平だとか、そのセンター試験のある科目が受験場のミスで1分試験時間が少なかったから問題だとか、細かく言い出せばきりが無いほどいろんな意見が現れますし、そういったすべての条件を整えて機会の平等を図るというのも、かなり大変なことになってしまうのかもしれません。


 また機会の平等は必ずしも「くじ引き」的公平さを保証するものではありませんから、機会が完全に等しく与えられているという条件下で負け続けた場合、それは能力など天賦のもので負けているのだとやり場の無いストレスが増大してしまうかもしれません。昔聞いた冗談で「入試なんか無意味だ。学力の一部だけしか評価できていない」という人に対し「でも人格込みで評価して、それで不合格だった時の方がショックは大きいよ」と答えるのがありましたが、まさにそういう面での危うさはあるわけです。

 条件の平等というのは、たしかに正義のための基本的要件ではあるが、にもかかわらず近代人類の最大にしてもっとも当てにならむ冒険的企ての一つなのだ。諸条件が似たりよったりになればなるほど、現に人々のあいだにある差異は説明がつかなくなり、それだけにいっそう個人間および集団間の不均等は増してしまう。
 (ハンナ・アーレント全体主義の起源(第一巻)』みすず書房、1972)


 このように「平等」と一口に言ってもいろいろ考えねばならない側面がありますから、私はあまり積極的にそれを主張することは控えております。ただ、ケースバイケースで「不公平」がみられた場合は、できるだけそれを考えてみたいとも思います。そうやってケース思考を重ねていくうちに、自分で一番しっくりくる「平等・公平」といったものが見えてくるはずだと思っておりますので。


 最後に一つ卑近な例を…
 ある食べ物屋さんでテイクアウトを頼んだ際、店内にお客さんが集中する時分でもあったのでかなり待たされていました。10分ほど待った頃合に別のお客さんが来てテイクアウトを頼み、そこから数分で私とそのお客さんのテイクアウト商品がレジまで届きました。
 人間としての修行が足りない私はそこでむっとしてしまいました。(もちろんおとなげなく怒りを態度に出すことはしませんでしたけど 笑)
 かつてバイトで厨房の仕事もしていましたので、必ずしもオーダー順に作るわけにはいかないのは重々承知しています。混み合っているときならなおさらです。それでも私がその時気を悪くしたのは、ずっと待っていた自分の注文とかなり後から来たお客さんの注文が同時に出てきたためです。(ずいぶん子どもっぽい怒りであることは承知しています)
 私はそこで「自分のアドバンテージ」を無視されたことで不公平感を抱いていました。私はどうも「アドバンテージ」をある程度維持してもらいたい方なんだなとその時一つ学んだのでした…。

紅海遭難事故

90[96]人々のために建てられた最初の聖殿はバッカ(メッカの異称)にあるあれだ。生きとし生けるものの祝福の場所として、また導きとして(建てられた)もの。
91[97]その内部には数々の明白な御徴がある−(たとえば)イブラーヒーム御立処など*1。そして誰でも(罪人でも)一たんこの(聖域)に踏込んでしまえば絶対安全が保証される。そして誰でもここまで旅して来る能力がある限り、この聖殿に巡礼することは、人間としてアッラーに対する(神聖な)義務であるぞ。
コーラン 第三章イムラーン一家)

 相当数の死者が出た今回の事故でしたが、ムスリムがメッカ巡礼(特に今回は大巡礼haji*2でした)の途上で亡くなった場合には天国行きは保証されているとのことですので、被害者とご家族のお気持ちを考えてそれだけが慰めといえば慰めです。


 フェリー遭難で200人以上死亡、800人ほどの行方不明がでているこれだけの事件ですが、日本での報道の扱いは小さいですね。

 乗客乗員約千四百人を乗せたフェリー「サラーム98」*3サウジアラビアとエジプトの間の紅海で2日に沈没した事故で、エジプト運輸当局は四日、航行中の同船で発生したとされる火災と事故との関係など、本格的な原因究明を開始した。現地では、救助方針の混乱などさまざまな問題点が指摘されている。

 英BBCは、一九七〇年に建造された同船が、八〇年代に改修工事を受け、定員増のため船の上部に乗客用デッキを二層追加したと指摘。船体が高くなり、風圧を受けやすい構造上の問題も、今後の調査の焦点となりそうだ。事故当時、現場海域では強風が吹いていたとされる。

 同じ規模の事故がアメリカあたりであった場合とか、日本人乗客がいそうだという時には、これぐらいの報道では済まないと思います。情報源が限られているとはいえ、メディアも情けない。被害者のご冥福を…。

*1:メッカの神殿は回教の伝承によるとアブラハムがイスマイルとともに建てたもので、建築の最中に彼が立っていた石は「アブラハムの足跡」を今日まで残している。これを「アブラハム御立処」Maqam Ibrahimと言って回教徒は神聖視する

*2:イスラム歴第12月(巡礼月)8日から始まるメッカ巡礼

*3:サラーム(salaam)=平安・平和