愛・蔵太さんの震災と朝鮮人虐殺への言及

 私が最初に彼のサイトを見、名前を記憶したのは「関東大震災における朝鮮人虐殺」に関しての検証の記事においてでした。何年か前のことです。(関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?←ここをクリック
 今、上記のようにまとめられておりますので、その検証の後を辿るのは簡単なことだと思います。


 もし、まだご覧になっておられない方がいらっしゃいましたら、時間がある時にでもぜひどうぞ。

 俺は、資料のデータ的な不備を大目に見て、極力人数を多めに見ても、「1」のデータから「神奈川県」に相当する部分を抜き、「2」のデータから「神奈川鉄橋」を除いたものをプラスして、1200+700で、2000名程度が虐殺の正確な人数に近いと思います。


従って、たとえば教科書に記述する場合は、

関東大震災では朝鮮人が、日本人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証言などもある。


というような表現が妥当かと思われます。

 少なくとも、氏はこの問題について反論のための反論はやっていないという印象を当時から私は持ち続けています。そして次の氏の結論を、私は否定する論拠を持ちません。

結論としましては、


1・朝鮮のかたが「定説」としている6600人説はいささか根拠があいまい。細かく数字を見ていると、怪しいデータが多いうえ、総合計は単純計算でも合わなかったりする。実はこれについて資料を見てみるまで、俺はこの数字というのは、ニューヨークのテロの犠牲者や阪神大震災の被害者のかたがたと同じように、「ちゃんとした固有名詞」まで挙げられた上での虐殺被害者数だと思ってました。皆さんも多分そうでしょう。


2・ただし、2000名前後のかたがたは虐殺されただろう、という推測が私的には成り立ち、その虐殺者の多くは自警団ではなく警察・軍隊だった、という目撃証言もある(目撃証言以上の証拠が存在するかどうかは不明である)。


3・教科書などの教育目的の記述としては、「関東大震災では朝鮮人が、日本人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証言などもある」とするのが正しいように思われる。

 

 町山氏が語られた「日本人による朝鮮人虐殺」の一言より、私の中では、今のところこの検証の方が重さがあるように思われますが、それも印象に過ぎないのかもしれません。しかし、この文を読んだ上で今の愛・蔵太さんの町山氏の引用を読むならば、それはちょっと愛さんに対する感じ方を変えるのではないかと思うのですが…。

それどころではない話

 今しがた母からの電話で知ったのですが、実家の方の老舗旅館閉館とのこと。実はそこは中学・高校で一緒だった友人が社長で仕切っていたところで、毎夏には同窓会みたいなものを格安で企画してくれていたんです(この頃わんこがいるのでほとんどお盆の時期には帰れずにいましたが…)。
 ちょっと少なからざる負債で、従業員に辞めてもらい土地を売って清算、廃業だそうです。そんな素振りは見せないタイプの人でしたから、相当我慢を重ねてこの事態に至ったというのは聞いただけでわかります。
 何もできないのですが、何もできないことが残念です。ことここに至って、今電話なんかしても役立たずでしょうし、この夏帰れるかな、帰れたら声をかけたいと思うのですが…
 地元のニュースでは結構大きく採り上げられている模様。
 私なんか30半ばで今の職についたぐらいで、彼の千分の一も実社会の苦労はしていないし、数十人の人生を預かるような仕事はしていないわけで…
 かなりショッキングな知らせでした。

なぜブログ論が流行るのか?

 昨年の四月に日記を始めたときから疑問でした。注目され、言及されるブログ論の多さに。
 で、ほぼ一年続けてきて思ったのは、ブログ論はブロガーの「自分探し」ではないかということです。


 なぜ日記やブログを続けるのか。自分で滅入りそうになったとき、みな一度や二度は真剣に疑ってしまうことなんだろうと思い至りました。それで、どこかに何か答えのようなものが置いていないか、他の人はどう思っているのか、どうしても気になるんだと思うのです。
 始めた頃はちっともそれがわからずに(いえ、もしかしたらこんなこと当たり前に皆さん思っているとか、どこかで有名な言及があるとかなのかもしれませんが)、私としては続けてきてやっと自分で腑に落ちたということです。


 最近、妙にブログ論を探して読んでいる自分に気付きましたから(笑)


 なぜ日記やブログを続けるのか。それにはおそらく絶対的な答えなどないでしょう。百人いたら百通りの答えが返ってくるような質問です。それだけに、一度疑問が湧いてしまうとなかなか自分でも持て余すような疑問になってしまうんだと思うのです。


 「自分が毎日のように書いていることにどんな意味があるんだろう」
 これに答えがあると思える人は幸いです。明確な方向性を持ったサイトなら、疑うことすらほとんどないのかもしれません。でも私みたいに、日記の延長で気の向くままに書いているような人には、これに一応の答えを出すことすら難しいです。
 また、多くの人が読んでくれて反応をビビッドに感じているサイトでも疑念を長く持たずに済むかもしれません。読んでいる人がいる>だから僕はここにいていいんだ!でしょうか。しかし私を含む多くの日記・ブログサイトにおいて、それは決して自明ではないのです。一時反応が多かったりしても、却ってそれが少なくなった時に「なぜ続けるか」についての疑問が深刻化するような気さえします。


 こんな春の明るい朝に、なんでこんなにネガティブなのか自分でもよくわかりませんが(笑)ふとそんなことを考えてしまいました。