カクレンボ

 まったくの先入観も情報も無しで『カクレンボ』(YAMATOWORKS)を見ました。たまたま新番組かと思って録画(KIDS-STATION)したら、フル3DCGアニメーションのOVAでした。
 すごく悪夢テイストで惹き込まれました。キツネ面の子供たちが薄暗い街で怪しいモノと出会う。説明がほとんどないですし、見終わっても半分も理解できませんでしたが、これはこれで素敵だなと思えました。尺がやや短いかなという感もありましたが…。


〈KIDS-STATIONの番組紹介〉

「かくれんぼ」、誰もが知っているこの遊びを、独自な発想と映像美、そしてどこか懐かしさを感じさせつつも未来的な情景を想像させるような世界観で描くフル3DCGアニメーション。


荒廃し、渾沌とした暗い街。路地の明かりが燈るとき、その向こうには、子供にしかできない遊び、子供にしか入れない世界があった。
子供たちは知っている。そこでは、秘密の遊び、鬼と呼ばれる異形の者達との「オトコヨ様のお遊戯」と呼ばれる遊び、「カクレンボ」が出来ることを。
「カクレンボ」で行方不明になった妹を探すために少年ヒコラとヤイマオ、鬼の正体を暴こうとする3人組のノシガ、タチジ、スク、不気味な双子インム、ヤンク、そしてたった一人、素性のわからぬ不思議な少女が、この「カクレンボ」に参加する。
子供たちは知りたかった。この遊びを、この街を、この世界を。

 森田修平監督らが立ち上げた映像制作ユニット「(YAMATOWORKS)」の作品で、総制作人数は2〜3人程度。技術の進展が可能にした、ちょうどあの『ネガドン』を粟津監督が一人で作り、新海誠監督が『ほしのこえ』を一人で作り上げたそういう流れにある作品だと思います。


 テレビ神奈川MXテレビではすでに地上波放映があったのですね。うちはどちらも入りませんし、まったく情報がありませんでした。『東京国際アニメフェア2005』も注目していませんでしたし…
 OVAとしてなかなかのものです。感想をいろいろ言うより「子供の頃の悪夢」という一言で表現できていると私は思います。実際、この映像テイストの悪夢は30年以上憶えているものもあります。ただ子供の悪夢ですから、単に怖がらせるとか不安感を抱かせるとかでもなく、さらりと幻想が流れていくと申しましょうか、この雰囲気はとにかく見て感じていただくのが一番かと思います。OVAも市販されているようですし、KIDSステーションなどでの放映もまだあるようです。

東京のような繁華の町中でも、夜分だけは隠れんぼはせぬことにして居る。
夜、隠れんぼをすると鬼に連れていかれる。
(柳田国男『山の人生』より)

いいわけ

 川崎市のマンション突き落とし事件で防犯カメラの映像公開で容疑者が自首してきましたが、彼の供述でリストラされたという話が事実だったかどうか怪しいということだそうです。
 リストラで食い違い、会社側「退職は今井容疑者自ら」

 川崎市多摩区中野島のマンションで小3男児が投げ落とされたとみられる事件で、清掃作業員の女性(68)を殺害しようとしたとして殺人未遂などの疑いで逮捕された同市麻生区細山、無職今井健詞容疑者(41)が、昨年9月まで勤務したインテリア用品会社で、2年前から体調を崩し、欠勤、遅刻、早退を繰り返すようになり、自らの意思で退職していたことが2日、会社側の説明でわかった。


 今井容疑者は、神奈川県警多摩署特捜本部の調べに対し、「会社をリストラされた後、自殺したいと思ったこともある」と供述しており、説明と食い違っている。
(後略)

 「リストラ>苦悩>犯行」という物語がそこにあったのか、あるいは単なる方便だったのかわからない段階ですが、いずれにせよ自分のストレス・悩みで人を殺してよかろうはずもありません。言い訳にもなっていないことになぜ気付かないのでしょう?


 言い訳といいますか、自分の言動の正当化がうまくできない人が多く現れているような気がします。一つの例ですが、引っ越す前、犬の散歩中によく歩道を走ってくるバイクや歩道に停める自動車を見かけました。車はそこに人がいないことが多いのですが、バイクなどにはよく声をかけたものです。ここは押して歩く以外は禁じられているのだと。そのときの「言い訳」が「この道を通った方が近い」とか「誰も歩いていないから」(私がいるのに)とか、言い訳にならない言い訳が非常に多いのに違和感を覚えました。


 言い訳をいうなら、とても急がなければならない理由があって仕方なく…とか、そこを走る理由として相手が納得することでなければいけないわけです(たとえそれが嘘であれ)。でもそこで多く聞かれるのは「自分の都合」のみでした。自分の都合、自分の状況を言うことしかできない彼らは、最初から他人のことが眼中にないのではないかと思います。他者の目線をほとんど考慮に入れない自分勝手な行動をする人は、言い訳というものをうまく考えることもできないのだなと感じました。


 最初から正当化も何も「自分の都合」で動いているのだから、それを他人に説明することは念頭に全くない。こういうコミュニカティブではない人は、恥ということもあまり頭にないのではないかと思います。さすがに場面場面では自尊心が傷ついたり恥ずかしく思うことはあるでしょうが、自分の言動を決定する段階において「恥」が入っていないというのは、どこかブレーキが壊れた車を想起させます。(ルース・ベネディクトも草葉の陰で泣いていることでしょう)


 食うに困って他人様のパンに手を出したとか、生活苦で換金できそうな燭台を盗んだとか、そういう古典的な筋の通った言い訳ができないのはやはり問題でしょう。言ってみれば生活に困ってミリエル司教を15階から突き落としたとか、うざいからジャベル警部の腹を刺したとか、そういう理不尽な行動は不条理文学にしかならないわけです。


 確かにリストラされて苦悩したという物語はわかり易く共感も受け易いでしょう。しかしそこから人を殺すというところには動機としてのつながりが欠けているとしかいいようがありません。ストレスで精神に異常をきたしたので責任能力がないという図式にはめたいのでしょうか。それともリストラされた弱者の犯行ということで、いくらかは社会の責任とやらに押し付けることができると考えているのでしょうか。


 今の私の印象では、殺意はあったが動機がないということのようにも思われます。動機を考えるだけ無駄ではないかと…。人はそんなに理で動いてはいません。動機なるもののかなりの部分は後付けの作文ではないかと思うこともあります。こういう犯罪では、主意主義的に動機を捉えようとするよりも、「一人幼い子を殺してさらにそこで老人も殺そうとした」という行為の責を問うということを中心に考えたほうが良いのではないかと、そういうことを強く感じます。
 ただこのケースでは「罪を犯し未だ官に発覚せざる前に自首したる者は、その刑を軽減することを得」(刑法第四十二条一項)が適用されるのではと思いますので、どういう量刑になるのか、それを注視したいと思います。