「炎上」について

 人力検索はてな より
 ブログが「炎上」するという言い方はどこから始まったのでしょうか。言い出しっぺがだれで、いつどこで使われたものなのか、明確にわかる回答のみ求めます(不確定な情報は不要です)。炎上の定義は、はてなダイアリーキーワードによる「blogのコメント欄やトラックバックに(しばしば批判的・感情的な)多数の意見が寄せられて、blogの運営者が対応できる限界を超えたようにみえること」を基準とします。


 この質問は2005の04/21にid:matsunaga氏によって出されたものでした。ちょうど私がはてなで日記を付け始めた頃のことで、氏がどういう人かも、それよりはてながどういうところでどんな人がいるのかもまったく知らない(右も左もわからない)時分のことです。
 これに答えた私の回答は

 初期の質問 ブログ−炎上 とはずれてしまいますし対個人サイトではないのですが、ネットバトル関連で炎上とという言葉は、2002年3月1日、哭きの竜氏が1ch.tvの落城に絡め、「炎上」という項目を立てて書いておられます。

 というもので、その時引いたurlは次の「保存」されているページでした。

 http://web.archive.org/web/20040412212121/hpcgi3.nifty.com/BWP_XP/diary.cgi?date=20020301

(真The Battle Watcher ANNEX の保存されたページ)
3月1日(FRi) : 1ch.tv落城
■炎上

ボス!しけてるぜ 1ch.tv part128
http://web.archive.org/web/20040412212121/http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/net/1014649133/l50

> 807 名前:妄想CHU! ◆CHU//34c 投稿日:02/02/27 12:26 id:YkhG+YwE
>あれ?1chがttp://1ch.tv/でもttp://211.10.27.230/ggg3fff4/info/
>でもエラーになるんだけど俺だけ?


> 814 名前:良識 ◆EBIi/aQQ 投稿日:02/02/27 12:35 id:tAveeN2P
>
>> Ping - 211.10.27.230 - 32 バイトデータ
>>
>> # アドレス 応答時間 ホスト名
>> 1 応答がありません
>> 2 応答がありません
>> 3 応答がありません
>> 4 応答がありません
>
>あらららら…。


> 817 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日:02/02/27 12:37 id:MhAAW7tv
>いやちょとまてよ、こりゃマズいぞ!^^;
>
>1ch.tvのあるセグメントの直前のルータが、1chのあるセグメントそのものを
>認識していない(ルーティングしない)ようになってる、、、。
>
>少なくともいまインターネット的には「1ch.tvのサーバ群は存在しない」よう
>になってる、、、。


2月27日12時26分。ついに1ch.tv城に火の手があがった。


> 842 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日:02/02/27 12:58 id:PelplO91
>211.10.27.230 (211.10.27.230): 50 data bytes
>host unreachable from 158.205.224.53: time=74 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=70 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=73 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=132 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=68 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=59 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=130 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=94 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=67 ms
>host unreachable from 158.205.224.53: time=138 ms


いくら打っても1ch.tvのサーバ群からPingが帰ってこない。
C&Wに確保した10台の専用サーバが完全に落ちる。
2000万円の巨費を投じ、西和彦あめぞうが築いた巨城が猛烈な炎と煙につつまれ、炎上したのである。


「夢、醒メタリ」
かつて1ch.tvに潜入し内部からクーデター(?)を起こしかけた、けんすうことアホの子は燃え上がる1ch.tv城をみて、しきりにこうつぶやいたという。
夢というのは、あわよくば1ch.tvを我がものとし電網世界の天下人ならんとしたアホの子個人の夢をさすのか、それともあやしいわーるど以来の電網世界の夢がこの1ch.tv城が紅焔の中に崩れてゆくことによって醒めはてたとことを指すのか。


この光景を彼方に望みひろゆきは傍らに居たヲチャーの手を取り「また勝ちたり」と喜悦をあらわにしたという。


ちょいと情報を整理すると、1ch.tvは昨年の8月の終わりないし9月始めに、西和彦氏がC&Wのサーバを10台確保していたことは明らかになっている。でまぁ、これのレンタル料が料金表を単純に見ただけでも月に80万円だか100万円だかかかって安くない。
んで、月払いなのか半年なり一年なり一括払いしたのか知る由もないが(基本は一年契約らしい)、C&Wとの当初サーバ契約期間が切れたときが筋目と思われていた。年金氏はサーバの更新をするか?サーバ契約を更新してC&Wへ大金を支払えば1ch.tvは継続する。だが、契約を更新しなければ…
どうやら、その時が来てしまったらしい。
今更だが、1ch.tv西和彦あめぞうという往年のカリスマがタッグを組んで2ちゃんねるへ「宣戦布告!?」し、匿名掲示板界へ文字どおり殴り込みをかけた商用掲示板である。
これが当時の西和彦氏の意気込みだ。

>144 名前: nishi 投稿日: 01/09/02 14:06 id:wRu2zHF2
>金のないヒロユキ
>金があっても一人では何も出来ない山本
>おれは違うよ
>やったる

その意気込みどおりに昨年10月の記者会見では6ヶ月の無料試用期間で30万ユーザー、1億PV/月を目指すと豪語していた。そんでそのユーザー数をバックに年金氏の開発したインターネット循環決済システム「バリューエクスチェンジシステム」を実装して、投稿者にも金が入り、運営者にも金が入る画期的な掲示板群がはじまるハズだった。物販サービスも始めてこれは西氏と懇意の石村社長のEストアーが担当。
だが、1ch.tvは何もかもが迷走し、「人に優しい掲示板」のハズが、いつの間にか「反2ちゃんねるアルカイダ」になってしまった。「反2ちゃんねる」では一般受けはするハズもなく1日50レスそこそこ、ユーザー数も切込隊長の発言によると2000人以下らしい。
それでも年金氏はサイゾーの取材に答えて「4月になれば全てが分かる」「本格稼動から完璧な運営をする」と言っていた。
いったい、これからどうなるのか?個人的に凄く注目していた。
そして、その結果がでた。
C&Wの難攻不落と言われた10台のサーバは、この日、炎上したのである。


「西殿も、かねての御口ほどもなく候て…」
と、伊達政宗のつもりの哭きの竜は知人へのメールで腹立ちともあざ笑いともつかぬ気持ちを、この様に表現している。
(以下略)

 これより昔の、サイトの「炎上」という言及も探せばあるのかもしれませんが、「どこかのサイトが不特定多数(の攻撃?)により機能不全を起こしてしまう」という言葉の定着には、当時かなり有名であった哭きの竜氏によるこの1ch.tv炎上描写が大きく関係したのではないかといまだに思っていたりします。


 1chは直接の攻撃(荒らし行為)によってサーバー落ちしたわけではないのでしょうが、イメージとしては多数の冷やかしコメントで埋め尽くされたりごたごたしたりして、立ち上げがうまくいかず、結局様々な不都合を生じて炎上・没落という感じが強くありましたから、その「故事」に倣って、だんだん「サイトに反対意見の者が集中してサイト閉鎖に追い込まれる」ようなことを「炎上」と言うようになったのではなかったかと言うことです。


 ネットイナゴがどうこうというのを見ていてふと思い出しましたので、書き留めておきます。

蓮如

 昨晩、NHKその時歴史が動いた』の「乱世に祈りを〜蓮如・理想郷の建設〜」を視聴しました。偉大な宗教者としての蓮如の一端が垣間見えたような気もしましたが…やはりと申しますか、逆に何でかなあと言いますか、蓮如の最も人間らしく精力に満ち満ちた一面、「子作り」については一言も触れられていませんでしたね*1


 蓮如の凄さは、彼が八十五歳で死去するまでに五人の妻を迎え、あわせて十三人の息子と十四人の娘を儲けたところに(も)見られるのではないかと思うのです。しかも最後の十三男にいたっては、蓮如八十四歳の子であったと言われていますし…
 本願寺教団は、蓮如が若かった頃は信徒数も少なく貧乏で弱小な一教団に過ぎませんでした。彼は苦労知らずの坊ちゃんではあり得なかったのです。最初の妻と数え歳二十八の時に結ばれた蓮如は、まず四男三女を儲けます。死別後の二人目の妻との間では三男七女ができます。この十七人の子は、まだ法主の座に着かない部屋住み時代のものです。そして四十三歳で法主となり精力的に布教に努め、あるいは成功を得、あるいは失意に見舞われ、波乱の後半生を巡る間に残りの十人の子を生ませるのですから、蓮如は男としても尋常ならざる人であったことは歴然としていると思います。


 蓮如は日本の中世期において、非常に魅力的な輝きを放っています。この人にはまる人が少なからずいるのもわかる気がします。昨日の番組にもゲストで出ていた五木寛之も典型的な一人ですね。困窮の民衆の中に入り、一代で本願寺教団を巨大な組織としたそのカリスマは、日本の宗教者の中では類を見ないタイプではないでしょうか。


 番組では、特権層としての僧侶の立場を降りて仏法に帰依する者はみな平等と唱えた蓮如が民衆の支持を得たというところを強調していましたが、それだけを教団隆盛の基底的な理由とするのはちょっと難しいことと思います。やはりそこには「御文」に代表されるような教化の巧みさと、その工夫の才能を含めた蓮如自身の強いカリスマ性、人間的魅力というものが強く働いていたに違いありません。
 本願寺教団が教祖親鸞の御影をシンボルにし、血脈をある意味利用していたのは確かですし、平等思想のみに注目するのはいかにも都合がよい捉え方でしょう。
 

 吉崎御坊での門徒たちの様子をみるにつけ、蓮如とその教えは、どうしても集団の中に「革命家」を作り易いものであったような気はします。組織自体が革命組織に都合のいい指示(指揮)系統を備えた集団でもあったということはいえるでしょう。
 ただ蓮如自身は「革命家」ではなかったのでしょうし、それゆえ恒久的な宗教王国は望まなかったように私は考えています。昨日の番組では山科本願寺にそれとなく革命的仏国土を匂わせていたと思いますが、宗教的表現としてはそれに類するものが使われていたとしても、ちょっと違うのではないかと…
(もし蓮如自身が革命家として率先するような人でしたら、あるいはムハンマドのような宗教王国の指導者となっていたかもしれないですね*2

 王法ヲバ額ニアテヨ
 仏法ヲバ内心ニ深ク蓄ヨ
(『蓮如上人御一期記』)

 昨日この引用がなされていましたが、蓮如にとっては心の革命が最も重要な関心事だったのかもしれません。
 それにしても彼が二十七人の子供たちを儲けたことは、もっと評価されてもよい…と思ったのでした。

*1:宗主を継ぐまでの時に自ら子を背負って云々というわずかの描写はありましたが…

*2:かねがね真宗門徒イスラムシーア派はどこか類似のところがあると思っています