蓮如

 昨晩、NHKその時歴史が動いた』の「乱世に祈りを〜蓮如・理想郷の建設〜」を視聴しました。偉大な宗教者としての蓮如の一端が垣間見えたような気もしましたが…やはりと申しますか、逆に何でかなあと言いますか、蓮如の最も人間らしく精力に満ち満ちた一面、「子作り」については一言も触れられていませんでしたね*1


 蓮如の凄さは、彼が八十五歳で死去するまでに五人の妻を迎え、あわせて十三人の息子と十四人の娘を儲けたところに(も)見られるのではないかと思うのです。しかも最後の十三男にいたっては、蓮如八十四歳の子であったと言われていますし…
 本願寺教団は、蓮如が若かった頃は信徒数も少なく貧乏で弱小な一教団に過ぎませんでした。彼は苦労知らずの坊ちゃんではあり得なかったのです。最初の妻と数え歳二十八の時に結ばれた蓮如は、まず四男三女を儲けます。死別後の二人目の妻との間では三男七女ができます。この十七人の子は、まだ法主の座に着かない部屋住み時代のものです。そして四十三歳で法主となり精力的に布教に努め、あるいは成功を得、あるいは失意に見舞われ、波乱の後半生を巡る間に残りの十人の子を生ませるのですから、蓮如は男としても尋常ならざる人であったことは歴然としていると思います。


 蓮如は日本の中世期において、非常に魅力的な輝きを放っています。この人にはまる人が少なからずいるのもわかる気がします。昨日の番組にもゲストで出ていた五木寛之も典型的な一人ですね。困窮の民衆の中に入り、一代で本願寺教団を巨大な組織としたそのカリスマは、日本の宗教者の中では類を見ないタイプではないでしょうか。


 番組では、特権層としての僧侶の立場を降りて仏法に帰依する者はみな平等と唱えた蓮如が民衆の支持を得たというところを強調していましたが、それだけを教団隆盛の基底的な理由とするのはちょっと難しいことと思います。やはりそこには「御文」に代表されるような教化の巧みさと、その工夫の才能を含めた蓮如自身の強いカリスマ性、人間的魅力というものが強く働いていたに違いありません。
 本願寺教団が教祖親鸞の御影をシンボルにし、血脈をある意味利用していたのは確かですし、平等思想のみに注目するのはいかにも都合がよい捉え方でしょう。
 

 吉崎御坊での門徒たちの様子をみるにつけ、蓮如とその教えは、どうしても集団の中に「革命家」を作り易いものであったような気はします。組織自体が革命組織に都合のいい指示(指揮)系統を備えた集団でもあったということはいえるでしょう。
 ただ蓮如自身は「革命家」ではなかったのでしょうし、それゆえ恒久的な宗教王国は望まなかったように私は考えています。昨日の番組では山科本願寺にそれとなく革命的仏国土を匂わせていたと思いますが、宗教的表現としてはそれに類するものが使われていたとしても、ちょっと違うのではないかと…
(もし蓮如自身が革命家として率先するような人でしたら、あるいはムハンマドのような宗教王国の指導者となっていたかもしれないですね*2

 王法ヲバ額ニアテヨ
 仏法ヲバ内心ニ深ク蓄ヨ
(『蓮如上人御一期記』)

 昨日この引用がなされていましたが、蓮如にとっては心の革命が最も重要な関心事だったのかもしれません。
 それにしても彼が二十七人の子供たちを儲けたことは、もっと評価されてもよい…と思ったのでした。

*1:宗主を継ぐまでの時に自ら子を背負って云々というわずかの描写はありましたが…

*2:かねがね真宗門徒イスラムシーア派はどこか類似のところがあると思っています