公立校の学力別クラスは無理

 現時点での公立小・中での学力別クラス編成導入は無理だと思いますし、敢えてやるのは暴挙でしょう。
 こういう記事があったのですが
 橋下大阪次期知事が大胆提案、学力別クラス編成導入を

 6日に大阪府知事に就任する橋下徹氏(38)が平成20年度予算に、府内の小中学校などの教育現場での学力別クラス編成の導入を提案していることが2日、わかった。だが、現状の教員数では実現が難しく、橋下氏が連日行っている府側との予算編成協議でも、具体的な議論には踏み込めていない。さらに文部科学省も難色を示すなど、実現には紆余(うよ)曲折が予想される。


 橋下氏は府当局との協議の中で、綛山(かせやま)哲男教育長に学力別クラス編成導入の意向を伝えた。これに対し綛山教育長は「子供の特性に応じて充実した教育を施すという考え方は同じ。ただ、基礎的な学力はすべての子供が身につけねばならない」と述べるにとどまり、学力別クラス編成の是非や実現可能性までは議論できていないという。(後略)
産経新聞 2月2日)

 橋下知事はこの記事で「塾でもやっていることが、なぜ公立の学校でもできないのか」などと導入を主張したとされているのですが、私塾でのクラス編成と公立でのそれを現時点で同一視することはできません。そこには大きなリスクがあります。


 最も大きなリスクだと思うのは、「学力別クラス編成」が出来てしまったとき、それが能力や人格のクラス分けと誤解されてしまう可能性が大であること、そして公立校でそれが為されたとき「逃げ場」が無くなってしまう危惧が大きいというところです。
 何だかんだ言って私塾でのクラス分けなど深刻に考えずとも済みます。もし真剣に気に入らなければ塾を変わるという選択肢があるからです(これが私塾の少ない地方ではやや話は込み入ると思いますが)。
 しかしそれが公立の学校では、便宜だったはずのクラス分けが妙に重い選別と取られ、学童・生徒、さらには親御さんなどへの要らざるプレッシャー、勘違いの悲喜劇を生みかねないと現時点では言わざるを得ないでしょう。
 本当にその試みが有意なものとなるには、たとえば教科・学科ごとの振り分けというのはもちろんのこと、単元やより細かい学習範囲での進度の判別、小刻みなクラス替え等等、現時点では公立校に可能とは思われない肌理の細かさが必要になることと考えます。


 たとえば、次のOKWaveでの質問をご覧ください

 学歴での判断
  現高校三年生です。以前も外見での判断の件で質問させてもらいましたが今回も似たような質問をさせていただきます。
 自分は学歴で人を判断しがちです。といっても自分は高学歴ではありません。通ってる高校も普通の公立高校ですし、成績も中の上くらいです。しかし、自分から見て偏差値の低い高校の出身あるいはそういう高校に通っている人を見るとどうしても勉強も必要最低限にしようとしない中途半端な人という風に思ってしまいます。人によっては理由があると思いますが、自分の知り合いにそういった人間がたくさんいるのも事実です。
 この考えは自分でも間違っていると思っているのですが、こういった考えについて皆さんの意見を聞かせてください。長文すいませんでした。

 これはほぼ一年ぐらい前の質問です。高三にして、しかもかなりの常識を持っているように見えるこの生徒にして、こういう考えを持ってしまってそれを持て余しているという状況がここから見えてきます。
 あるいはこの手の迷いは、そういう「偏差値の低い高校」とかいうところに実際の知り合いがいるとかいないとかいう単純なところで結構消えるものかもしれません。知らぬがゆえの馬鹿馬鹿しい偏見なのかも知れません。それでもなおこういう考えが出てくるということは、下手に公立校で学力別クラス編成を強行すべきではないという雄弁な証左に見えてなりません。


 ある時点での、ある分野・範囲についての学習進度の遅早など中学や、まして小学校のレベルで大げさに囃し立てるものでないのは言うまでもないことだと私には思えます。それでもそこらをどう判断すべきか子供には荷が重い選択なのでしょう。さらに言えば、それに対して自らの偏見を敷衍する大人が少なからずいるということを考えればことは軽く考えることはできないものなのだと思えます。
 公立校では「逃げ場」がないのです。それは誰にも保証されている最後の砦として、そこをよすがにする人の絶対数が多いことを考えても変えることが非常に難しい一線と思われます。
 和田中の試みに関しては私はそれほどの危惧は抱きませんでした。それはあくまでもオプションとしてある一つの試みだったからです。でもそれが下手に固定化されたものとなってしまったら、その弊害は想像できる範囲でも許容の限度は越えると見えてしまいます。それは「学力別クラス導入」で得られるであろうメリットを大きく超えたリスクであると現時点では考えざるを得ません。


 もし橋下新知事が思いつきで言った程度のことであれば、すぐさまその思い付きを引っ込めることをお薦めしたいと思います。残念なことではありますが、こと学力云々ということと人となり云々ということをドライにそしてフランクに切り分けて考えるだけの素地が、今のこの社会に定着しているとはとても言えないからです。