「偏差値」が得体の知れない怪物だった時代

 昭和50年(1975)12月19日付 読売新聞の紙面より

 昭和51年3月の東京都内の中学卒業予定者は約119,000人で、50年3月の卒業者より3,000人も増えている。また、年々上昇を続けてきた高校進学率は、50年春の96.2%をさらに上回る見込みで、51年春は116,000人が進学するものとみられる。これに対して、都内にある高校の募集人員は、公、私立合わせて約123,000人であるが、ここ数年、神奈川、千葉、埼玉など近県からの流入進学が増え、50年春はそれが21,000人を上回り、51年春には、2,000〜3,000人の中学浪人が予想される。

 平成18年度の中学校卒業後進学率は全国で96.5%、東京都で96.9%でした。昭和50年の時点よりわずかに上昇というぐらいです。でも東京都の数値は全国平均よりも通常高い値となるのですが、昭和60年には一旦93.35%まで低下し、その後平成に入るあたりから上昇傾向があってこの数字となっているのです()。

 来春の受験期を目前に控えて、東京都内の私立高校の一部で、テスト業者が算出した「偏差値」と呼ばれる数値が、入試の事前ふるい分けに使用されるケースが目立ち、問題化している。事態を重くみた東京都中学校長会進学対策委員会(会長=保坂芳香・立川一中校長)は、このほど東京私立中学高等学校協会(会長=中島保俊・成女高校長)に対し、口頭で善処を申し入れた。このような動きにあわせて都教育庁も都総務局を通じ、私立高校側に警告を行った。
「偏差値」は、高校や大学受験に際して、合格予測の目安になると、学校での受験指導の武器として非公式に使われてきたが、受験競争の過熱化とともに教育現場でますます"怪物化"しており、正常な教育を乱す恐れもあるという心配の声も上っている。

 この頃まであまり一般の人の耳に入ってこなかった「偏差値」という言葉がなにかおどろおどろしいものに思えたのでしょうか、知らないものへの不安といったものが拍車をかけ、今振り返れば何でここまで問題視されていたのかわからないほど「偏差値が教育を歪ませる」といった体の煽りがメディアに出てきていました。

資料 偏差値とは
 学校とか学区、全都内の中学3年生などのような集団のなかで、個々の生徒の成績がどういう位置にあるかを、標準偏差(点数のバラつきの大小を表す統計学上の尺度)を加味して示した数値。平均点と同点の生徒は50、成績がよいほど偏差値は上がり、悪ければ下がるが、試験の点数とは当然異なる。

偏差値=(個々の生徒の得点−平均点)/標準偏差×10+50

 正体さえ知れば、それほどのものではないことはおわかりになると思います。データの「ばらつき度」を示す分散(平均値からの個々の値の偏差を自乗して総和を取り、データ数で割ったもの)の平方根標準偏差で、それを加味して全体のばらつきの中で相対的にどこらへんに各データが存在するかを示すのがこの偏差値です。

 教育庁指導部長(当時)の杉原猪佐雄氏
 「偏差値は大手の業者がかなりの資料を集めて統計的にはじき出したもので、それなりの確度はあると思うが、わずか数回の試験ではじき出されるものをいかにも権威があるように扱い、進路指導で絶対視するのは誤りだ。中学での指導はあくまで綜合的に判断すべきで、偏差値は使うにしても一般的なデータとして参考程度にとどめるべきだ。そのような方針で今後指導を強める。
 また、私立学校側がこのようなものをもとに生徒の選別を行おうとしていることについては、生徒や父兄が受験校を決める段階ですでに合否が決定的であるかのような印象を持たせることは好ましくないため、都総務局を通じて警告した。しかし業者が企業目的でやっているものについて、教育庁が"まかりならぬ"ということはできないし、また効果もないと思う。要は業者の"指導"で志望校が決まるという主客転倒したことにならないよう、父兄や教師が主体性を失わないようにすることが、一番重要だと思う」

 今見ても偏差値に対してこのコメントは妥当なものだと思います。偏差値偏重の風潮に対しては的確な批判でしょう。そして後段など特に「偏差値を不安視する人」に配慮していることは明らかですが、偏差値排斥といったものに関しては釘を刺しているともとれるコメントでもあるでしょう。

 東京私立中学高等学校総務部長(当時)の高橋喜一郎氏
 「確かに偏差値を振り回すことは好ましいことではないが、初めに偏差値を持ち出してきたのは、もっぱら中学校側だった。私立高校側に、中学校の先生が(偏差値でどれくらいなら入れますか)などと尋ねるので、こちらも知るようになったくらいだ」

 何か客観的な指標が欲しいと思ってしまうのも人情です。偏差値を考慮した成績の判断は諸方から求められていたというのはここらへんからもわかります。

 東京都中学校長進学対策委員長の保坂芳香氏
 「偏差値は業者のテストから算出されたものであり、これが選抜の中に持ち込まれると正常な教育をゆがめる心配もある。テストは同じ試験問題で全部一斉に行ったというようなものでなく、漏れたりする恐れもあって信ぴょう性にも疑問がある。中学校では入試に当たって生徒の実力を他校と比較するため、また1人でも多くの生徒を高校へ入学させるため、利用せざるを得ない面もあるが、あくまで参考資料とすべきものであって、絶対視することは好ましくないものと思っている」

 偏差値は参考資料として用いられるに留めるべき、というのはおっしゃる通りなのですが、「これが選抜の中に持ち込まれると正常な教育をゆがめる心配もある」というのは時代を感じさせる発言です。その信憑性の限界を考慮するのはよいとしても、殊更に貶める必要はありません。
 各試験が同じではないのは明らかですので、絶対点で比べるのは偏差値を用いる以上に信憑性に欠けるのは理の当然。やはりこの時代、偏差値のことがわからないためにそれを過剰に敵視した風潮が出てきていたのではないかと思われます。

共感覚の方の本

 bookadictさん@やっぱり本が好きの「D. タメット ぼくには数字が風景に見える」で知って、この本を買って読み始めています。そういえば発狂小町さんがまとめた発言小町のトピックでも「暗算。数字が色と模様で頭に浮かぶという夫」というのがありましたね。
 まだ読み始めたばかりですが、なかなか面白いと感じています。