加齢臭

 何か不快です。加齢臭が、ではなくて「加齢臭」というネーミングをしたコマーシャリズムが(特に名付け親の資生堂)が。
 中高年特有の体臭発生メカニズムを捉えたことは別に問題じゃないでしょう。それは男女ともに年を取れば発生しやすくなるものだということですから。

 さらに詳しい研究で、中高年の皮脂には若い人にはほとんどない脂肪酸、9−ヘキサデセン酸が増えること、さらに若い人に比べて過酸化脂質が多く、酸化分解が進みやすいことを確認。この結果、9−ヘキサデセン酸が酸化や皮ふ常在菌により分解されると、「ノネナール」がつくられることを解明しました。
資生堂研究所 研究開発最前線


 10年近く前のニュースだったでしょうか、各局が割に大々的にこの「画期的な発見」を報じたのは。
 でも何で「加齢臭」というネーミングなのかと、別に「臭」じゃなくても「匂」でも「香」でもいいのに、というのを最初から思いました。
 そこはやっぱり「臭」だから、不快で厭わしいものだから、ぜひこの「体臭をケアする全く新しい技術」をお使いください…という下品な意図*1が感じられて、自分は年を取っても絶対その「ケア」する商品は買うまいと瞬間的に決意してしまいましたね。


 うちの祖父は結構独特の匂いを出す人でした。おじいちゃん子でもあった私は、祖父が亡くなった時に(自分では使わない)祖父の電気シェーバーをもらいました。蓋をはずしてかぐとお祖父ちゃんの匂いがしていつまでも懐かしく思い出せると考えたからでした。
 快・不快は個人的な要素と社会的な好悪の判断の両方から決められるところがあります。社会的に見れば、ヨーロッパ諸国よりも日本が体臭に「不快」という反応を示すものだというのはよく言われるところ。それに拍車をかけてまで「中高年の匂い」を悪者にして商売がしたいのか!と思ってしまいますから、どうにもこの言葉が嫌いなんですね。


 人の世では「名付ける」ことがそのものを実体として生み出してしまうことになるのです。まあ魔法世界もの何かでもよく聞く説明ですが、これはもともと過去の実社会にあったこと。資生堂(という悪い魔法使い)が「カレイシュー」というスペルを唱えてしまったがために、それは永遠に呪われた実体として日本社会に根付いてしまうことになったのでした…
 だいたい、この加齢臭の他国語への翻訳なんてまだ無いでしょう? それが実際に存在するものだとしても(いえ、昔からあったものでしょうが)、それが厭われるものとして存在するということは全く別の話なのです。


 気になる人が対策商品をお使いになるのまで止める気持ちはありません。ただ私は、金輪際そういうものは買うまいと、一人心に誓うのでした…
(いやそろそろね、自分でも気になりかけていたもので、ここはひとつ宣言して気持ちを奮い立たせておこうと…)


 余談ですが、うちの犬が存命の頃、室内飼いだったもので結構匂っていたらしいのです。それを来るなり言って眉をしかめる方が一人いらっしゃいました。理不尽でしょうがその人を自室に呼ぶことは二度としませんでした。その後空気清浄機を三台導入しましたけど…

*1:それは商売としては真っ当な作戦だ、と感じられる方もいてよろしいのですが、主観的には「卑怯」と思う気持ちのほうが強いです

つばめ

 うちの軒先のつばめも結構大きくなりました。最初は「口だけお化け」みたいだったのが、徐々につばめらしい形態を見せはじめています。実は5羽いましたね(最初は4羽しか確認していなかったのですが)。
 玄関先にぼたぼたフンを撒き散らすのは相変わらず…

 転じて燕は年増女に養われている若い男を指す。後に女性解放運動家・平塚らいてうの夫となる、平塚より5歳年下の画家・奥村博史が(運動の邪魔にならないよう、一時的に身を引いた際に)自分を例えて「水鳥たちが遊ぶ池に迷い込んだ若い燕」と表現したことに由来する(瀬戸内寂聴の小説『美は乱調にあり』では、平塚が奥村をラブレター上で若い燕と形容したことになっている)。
Wikipedia日本語版 ツバメの項より

 こんな新しい言葉とは思いませんでした。


 アリストテレスの『ニコマコス倫理学』にもツバメの諺が出てきます。

 一羽のツバメや一日の日が春をもたらすのではない。だからわずか一日やそこらの短い時間が、幸運や幸せな人間を作りはしないのだ。
 (Book 1, chapter 6)

 5羽いればどうでしょう? 幸せになれるでしょうか(違。