非モテ論争?雑感

 はてなソーシャルブックマークから跳んだサイトで「非モテ」論争?などに出くわしました。Kammy+氏という理系院生の方のブログで、こちらのKammy+'s spaceブログ版6/22の記事のコメント欄あたりが端緒になっているようです。
 いえ、なにも「非モテ」について語りたいというわけではなく、コメントなどに昨日一昨日と書いてきたことにちょっと関わりがありそうなことを感じたのです。


 この記事でKammy+さんが

 自分がモテない(この言葉も語弊があるけど,とにかく女性から「付き合う」というカタチで承認されたい)ことの背景をどんなに言葉で説明しようが,自分はなにひとつ報われないわけで.

 と愚痴ったところ、賛否両論の形でいろいろなコメントがついてきた次第です。その中の「くみ」氏に代表される女性陣のもの言いが、まさに「問題は自分にあると気付け」調の言葉、理屈だと感じられました。

Kammy+さんのブログを読んでいると、誰でもいいなんてことは考えてなくて、あくまでも「ありのままの自分をよいとこ悪いとこひっくるめて全て受け入れてくれる(それなりのレベルの)女性」のみを望んでいるように思えますが。

なーんにも努力しないありのままの自分をまるごと受け入れてくれるのって、可能性があるとしたら母親ぐらいのものですよ。他人にはそんなの受け入れる義理はありません。

 こうおっしゃる「くみ」さんの言葉は確かに正論ですが、話がずれてきていると思うのです。だから論争っぽくなっていったのではないでしょうか。

「変わらされること」に憤りを感じていらっしゃるようですが、ほとんどの人間はそのままじゃ他人には受け入れてはもらえません。昔は「跡取り息子」であればそれなりに受け入れられたようですけど、今はそういう時代ではないのです。そして昔から女性は過剰適応することを義務付けられてきていたため、「そんなのやだ」と駄々をこねる非モテ男性を「お子ちゃまねえ」と思うのです。

 私にはもともとKammy+さんはこういう言辞はとっくにわかっている方だと見えました。そして彼の「モテない」という言葉は、いってみれば運命を嘆く言葉と申しますか不条理な世界への「愚痴」にすぎないのです。


 実際恋愛などに関しまして必勝法などあるわけもなく、結局誰が誰を好きになってまた嫌いになってというのは、すべて理屈ではないことです。条理などありません。結果論はありますが…。
 おおまかな確率的傾向があるだけの事象であるにもかかわらず、一部のコメントの流れは不思議にこのKammy+さんを責める感じになっていきます。
 私はその問責の背後に「自分の外に文句をつけるな。嘆くな。すべて自分に問題があると気付け」という信念を感じました。なんとも「男らしい」態度(しかし大体が女性陣の言葉)です。しかしちょっと場違いだったと思います。(まあこういうすれ違いからの発展もコメントのやりとりの面白さではありましょうけど)


 どうしようもない世界の不条理さに直面したとき、確かに「自分のできることだけをやれ」という態度は雄雄しく「正しい」と思います。しかしそれでもなおかつ人は「嘆く」ものだとも思います。
 モテないことで愚痴るな、他人(女性)の所為にするな、自分を磨け…という倫理的命令を発する方々には、おそらくそういうことをわかった上で恨み言を言っているKammy+さんの気持ちは届いていないのではないでしょうか?それは服装に気を遣うとか何とかいうこととは関係ないことです。世界の不条理さに(ここではモテるモテないということで)気付いた一人の男性の、天を仰いで発せられた「慨嘆」があるだけだったのに…。


 というようなことを考えた次第です。ちょっと我田引水だったかもしれませんけど(笑。