SAMURAI7を観る3

 またまた一日分遅れていますが、とりあえず十五話からの感想です。


 十五話はいくつか伏線を張っていますね。一つは十四話あたりで悪い予感があったものですが、キララがカンベエに惚れているということ。また、その後のオリジナルな展開でリキチの女房を取り戻すためにミヤコへ行くという話があるだろうこと、こんなところでしょうか?
 だからカンベエをああいう「美形」にしてはいけなかったのです(個人的感想)。彼はもともと生き方がカッコイイ男なのです。そしてそれに惚れたのか顔に惚れたのかはっきりわからないことになってしまうと、カンベエの魅力がきちんと伝わらないですよ。これはキャラ設定に問題ありと感じました。


 十六話の雨中の戦いは、はっきり原作の方が面白いし迫力があります(原作ではクライマックスですし)。まずアニメは集団戦が描けてなかったと思います。原作の野武士と百姓に比べて、アニメのノブセリと農民の実力の差がありすぎの設定でしたので、農民たちが力をあわせれば(たとえば5人で1人にかかれば)ノブセリをなんとか倒せるんじゃないか、という期待感がほとんどありません。だからサムライだけが、各々のとんでもない実力でノブセリを(ちょうど時代劇のラストでばったばったなぎ倒すがごとく)個々に倒していくだけ。これではせっかく村を城にして農民たちも戦うという意味がありません。原作の、延々と続く泥中の攻防を息を詰めて見つめてしまう感じが出ていなかったですね。これは作画云々というより設定の問題でしょう。また七人の力量もあまりにノブセリの雑魚キャラを凌駕しすぎていて、緊迫感に欠けます。これではせっかく「予備の刀を何本も地面に突き立てて備えていた」意味が生きてきません。こうなると、個々のサムライのカッコイイ勝ち方も裏目としか見えなくなりますし、サムライ仲間の怪我や死もたまたま偶然のものとしか受けとれなくなってしまっています。
 そして、原作でこの戦いを緊迫感あるものにしていた「敵の数の予想と、一人一人倒していく集計」がほとんど生きていません。アニメでは最初から何か敵方の数が圧倒的で、数などわからなかったですし、一旦谷底に追い落としてからの敵の数も印象付けられていません。確かに正の字を書いているシーンはありましたが、たとえばあそこで「ミミズクはおそらくあと十五名」みたいに言った直後に、二十三、四人のミミズクが現れるようでは何のためのカウントダウンかわからないです。これが生きなかっただけでも、原作に到底及ばないものでした。
 しかも見終わった後に、カンベエの智謀やヘイハチの工夫やシチローザの手際などが印象に残りません。これはとても残念…


 十七話は回想と新展開のプロローグですか。稲刈りは原作ではエピローグでしたが…。キララは本当にカツシロウに脈なしですね。済まないとか可哀そうとか思われて、しかも他の男に心を奪われている女性が近くにいる状況は本当に気の毒としか思えません。私は実は十四話で、カンベエがキララにカツシロウに抱かれるように因果を含めたものだと思っていました(汗)それはもうあり得ないのでしょうね。間違ってました。さてここからのオリジナル展開はどうなるのでしょう。ここまで見てきて期待半分、不安半分というところでした。


 そしてその後の二話を見た時点で、不安的中、期待増大というところでしょうか。カンベエのミヤコ(なんと浮遊要塞風の天守閣、元のダイホンエイでした)への潜入がプロフェッショナルらしくないのには失望しました。あれはほとんど運を天に任せるやり方で、智慧を使うというより身体を使うアクションヒーローのやり方です。どうにもイメージが崩れます。
 むしろここで期待ができそうになってきたのがウキョウですね。アマヌシ(天主?テンノーではなかったですね)と絡んでいく彼は、立派なプロフェッショナルだったと思います。こういうキャラがいれば、ここからの物語も飽きずにすみそう…とはいえ最終的にはアンチ・ヒーローというより「サムライへの恨みを持つ可哀そうな人」ぐらいの結末になるのでしょうか?
 また、リキチの元女房サナエの言動にもとても興味がわきますね。複雑な女心というところでしょうか。でもここへきて個人的には青臭いキララの方はどうでもよくなってしまいました…残念です。