いただいたコメントなどに…

 ぐったりして帰って参りましたのであまり自分の頭が使い物になりませんが、明日もまたお仕事ということで、今日のうちに少々お返事を。

shojisatoさま

 徳島大のセクハラは、あなたのご見解に不同意です。大学の見解を支持します。それは件の教授の「相手が嫌だと云わなかったから」という気付きの不在に対する覚醒の効果、そして自分の立場(大学という特に地方の旧国大というアカデミズム内の)教授職と、一般事務との「権力関係の非対称」に対するあまりの鈍感さが、「相手が嫌がっている」ことを意思表示させなかった前提にあることが明白だからです。また、この程度だから「戒告」で済んだともいえます。それは、無処分だと、さらにエスカレートすることは目に見えているから、重大な先行きへの不安が件の女子職員にあったと推察されます。こういう類は、プリミティブな段階で阻止するのが肝要だいう判断も大学側にあったというのが私の予測です。

 この話に関しては情報量の少なさがなんともですが、敢えて、目にした材料だけで判断いたしますとやはり行き過ぎとしか言えないと考えます。
 ためにする反論ではなく、これは大学の行き過ぎがコミュニケーション不全を生みかねない、つまり殺伐とした人間関係をもたらしかねないものに思えるのですね。
 確かに人間関係に鈍感な教授などという存在は掃いて捨てるほどいるでしょう(その逆に細やかな方ももちろんいらっしゃいますが)。ですがまず、為された行為を評価してみますと、それはメールの最後にハートマークということで、これだけでは何ら実害を与えることができないものだと思われませんか?
 これは「色目を使った」とも取れますが「潤いを求めた」とも「おちゃめな自分を表現したかった」「やっと覚えた技術を使いたかった」云々といくらでも解釈が可能なわけで、この中では最悪?の解釈の「色目」だとしても、それは女性としてかわすやり方はたくさんあろうかと思います。
 まず直接両者で意図を確認したり注意したりというのがないならば、それはあまりにも雑なやり方であって、この教授がコミュニケーションを一方的に拒絶されているということにも見えてしまいます。
 この女性職員は教授の職務に関してはラインではありません。命令系統に入っているわけではないのです。今日の大学で、しかも国立から独法でしたら職員の労組は弱くはありません。一方的な強者−弱者という立場だとは、私には思えないのです…(逆に言えば、女性が院生、ポスドクとかいう立場でしたら、エスカレートのしようもあったかもしれないのですが)
 何かもう魔女狩りにもなりかねませんよ。「迷惑だった」という女性の側の心証だけで処分が決まるということになれば、それは個人の罪というものを決める観点からは「先祖がえり」もはなはだしいと…。いずれまた書かせていただこうとは思いますが、これは賛成しがたいです。(ごめんなさい。うに頭ではとりあえずこんなところで…)

antonianさま

 ル・ゴフ先生、うまくまとまらなかったので、わりに素材をそのまんまでした。わかりにくいものはやはりメモを取りながら読むべきだとほんとに痛感です。そのうちまた続きでも…

ボナヴェントゥラと厳格派の問題はパラレルに使徒行伝の時代のキリスト教を映し出し、同時に当時の社会倫理の揺らぎを映し出していると言えるでしょうね

なんとも私より読みが深いかもです。私がこちらで一番思ったのは、修道会の思惑とか信仰の変遷とかはあっても、結局それは時代の流れの中に位置づけられてしまうところがあり(逆に時代に影響する部分もありましょうが)、歴史の中で、また都市現象の中では「物語」と一体化しているものだなというところですね。もちろんそういう物語をきれいに切り出すのが、ル・ゴフ先生の力量というものなのでしょうが。
 わんこは一日家の中だったのでちょっとふてくされです。帰ってからもう三度ぐらい散歩を要求されました。寒いし冷たいし、雪の中で何をするわけでもないのですが、こちらに引け目があるだけにいちいち連れ出してはタオルドライでくたくたです。明日もまた同様かと思うと、めげかけますね(笑