他者恐怖による虐殺

 鷲巣よ、問題はその殺意がどこから来ているかってことなんだ。気付いてるはずだ。あんたにも薄々。その殺意の出どころが。 そう、その殺意の元は…やはり恐怖なんだ。 死にたくないから殺したい。 だから急ぐ。殺すことを。

 殺したい。すぐにでも殺したい。今すぐ殺したい。 その衝動を抑えきれない。


 なぜなら…自分が助かりたいから。


 そう…それが鷲巣の源泉、「生きたがり」。 鷲巣は異様に執拗に生きたがり、結局、この根源的恐怖に突き動かされた人生。 だから離れたかった。一歩でも。「死の恐怖」から…「破滅」から。
(『闘牌伝説アカギ〜闇に舞い降りた天才』「殺意の誘惑」より)


 私は関東大震災のときの「朝鮮人虐殺」というものについて、日本人が朝鮮人を知らなかったために起きた事件であるという印象を持っています。彼らを蔑んだり「日本人の職を奪う外国人労働者という意識を原因とする具体的な恐怖・憎悪の感情」を持っていたからではありません。むしろその逆で、よく知らない、得体の知れないものとして彼らがいたということ、そして彼らに「憎しみ」を持っていたのではなく「負い目」を感じていたということが、震災のパニックの中で裏目にでたのだと。


 何より根も葉もない「朝鮮人に関する風説」の基盤になったのは「日本人による略奪(火事場泥棒)や強盗・強要の事実」であったろうと考えます(立憲労働党総理山口正憲を首謀者とする集団強盗事件など)。そこでは、人々が不安・恐怖から逃れるために「内」の邪悪な部分を「外」になすりつけて、仮構の「安全な身内」という立場をつくりたい気持ちがまず働いたのでしょう。
 混乱の最中、隣人は皆殺人者、盗人、暴行者になるかもしれないという緊張にずっと耐えられるはずもありません。誰を信じてよいかわからないという疑心・緊張を逃れるために、「悪いのは朝鮮人」というように外部の敵をでっちあげ、その捏造の対価として「日本人どうしなら安心」というありもしない「内」がそこで作られたのだと思います。


 こういう「集団ヒステリー」(という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが)によって偶発的に各所で虐殺がなされたということは、それ自体「免責」の言葉ではまったくありません。むしろ私が「自分も虐殺者となるかもしれない」という危惧を認識するのは、パニックになった時のこういう心理に自分が抗えないかもしれないという思いから来ます。情報が口コミしかなく、状況がつかめず不安の中にいるとき、私が理性的な判断を下せなくなる時もあるだろうという「惧れ」です。そしてそんなときに「誰をも敵とみなさず、誰も攻撃しない。誰も殺さない」ということが「絶対にできる」自信は全くありません。


 そのとき「外」の敵であり「異者」であるとみなされたのは「朝鮮人」でありましたが、これは「支那人」にも「社会主義者」にもなり得たという点では偶発的だと考えます。朝鮮併合が無く、半島からの人の流入がごくわずかであればよくわからない外国人という点で中国人こそ敵とみなされたり、外国人の流入自体が少なければ国の転覆を図っている(とされた)主義者が敵とみなされたり、それぞれそういうことはあったと私は考えます。


 あのときになぜ他者性の象徴・虐殺の対象が「朝鮮人」だったか。これはもちろん史学的検証が必要なわけですが、現時点での私の考えは、どこかに「国を失わせたという負い目があった」から。そしてそれなりに人が入って来たとはいえ「個人的な付き合いがそこここであるというほど知り合うことはまだなかった」から。という条件の重なりが原因であったのではないかと考えています。


 どんな相手でも、自らの恐怖に負けて「他者性」の象徴として殺してしまったかもしれない。そして自分もその時には「狂ったネズミ」になるかもしれない。…これがどうして免責の言葉になるのでしょう?
 良い虐殺も悪い虐殺もない、と本当に思います。ヒステリックな虐殺だったか、あるいは狂った理性による計画的な虐殺だったか、この弁別に配慮するというのは一つの冷徹な政治的態度でしょう。私はその弁別に拘る立場ではありませんが、そういう配慮を真剣に考える立場もあると思います。


 いずれにせよそこに求められるのは、事実がどうであったかという議論なのでしょう。私が上記のような印象を持つ契機になったのは、吉村昭関東大震災』文春文庫、森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店、の二冊から得た情報だったことを記しておきます。
(※ gachapinfanさんが、まだ問題を追いかけられているようですので、敬意を表してとりあえずこれだけ意見を書き留めておこうと思います)

アカギ:フフフッ。意外と臆病だな、鷲巣巖。
ワシズ:ヮ、ワシが 臆病だと?
アカギ:フフフッ、そうた易く恐怖心は消えない。一度恐怖に心が侵蝕されると、その弱い意識、流れからやすやすとは抜けられない。
(「殺意の誘惑」より)

(※鷲津→鷲巣の修正をしました 21:30)