一つのショット

 ナパーム弾攻撃を受けたトランバン(TrangBang)の村から逃げてくる子供たち。一人の女の子がまるはだかで、両手を力なく広げて泣き叫びながら走ってきている(写真

ベトナム戦争の報道写真の中でも特に記憶に残る一枚です。この女の子は当時9歳だったKim Phuc Phan Thi。AP通信のカメラマンHuynh Cong Utが写真を撮りました。)


 昨日のQANA空爆のニュースの中で、子供の亡骸を抱えてうつろな目をして歩く男性の画像がありました。その情景が非常に多弁に悲惨さを伝えています。
 理念とか、背景知識とか、想像力とか、そういったものよりも私たちに訴求する一枚のショットというものがあるということを、20世紀に人は覚えたのだと思います。それゆえプロパガンダに使われる「作られた画像」というものも出てきたのですが、その危険性を認識しつつも動かされるときには人は動かされるもの。私にとっては昨日の死んだ男の子と男性の画像がそれでした。


 メッセージくさい歌や詩や、そういったものには普段懐疑的でもあるのですが、視覚情報で一瞬に心を貫かれることもあるんだと改めて認識しました。直覚的に「この戦争は止めなければならない」と思わされました。


 こちらの報道サイトの「カナの虐殺 Masacrul de la Qana - galerie foto」にも13枚の画像があります。昨日のあの画像とかなり似た構図のもの(男の子を抱く男性)も胸を打ちますが、二人の男の子の死体がビニールに入れられた画像(リンク)も見ているととてもつらくなります。