自由

 関係性を考慮しない「自由」は有りや無しや、といったことを考えさせられました。
 無際限の自由は自由じゃないという方に一票入れたいと今は思います。


 確か丸山圭三郎大乗仏教の「空」について、空はnullではなく関係性であるということを言っていました。個別の実体を「有るもの」とできないのは、それぞれの実体云々が関係性において存在している(存在を認知されている)からであって、それこそが「空」という概念の本来なのではないかと言っていたのです。
 「無」であるというのは無いことではなく、「有」として自立する根っこを持たない>関係性に解消されてしまうことだ、というこの丸山氏の主張はまったく「らしい」ものだと思いましたし、かなりいまだに私の頭の中に強く影響しているところでもあります。


 般若心経でいう「心無罣礙」が自由だとすれば、それはまさしくすべてが関係性であることを認識して「引っかかるもの、凝るものが心の中にない状態」ということなのでしょう。
 そして関係性を認識することによって自由になるとは、関係性を無視することでは決して無いのは言うまでもないことだと思っています*1

*1:「ことによって自由になる」を追加 7/11