雑感

 心が沈んでいる末期がんの患者さんの言葉として、「自分の人生には何もないから」みたいな言葉がありましたが、それに近い感慨というものは誰もが持つ可能性があるはずです。もちろん私もそうです。で、一見そういうのと関わらなさそうな、顕職にいる人とか有名になった人とか、案外そういう人でも「自分は大したことはできなかった」「…できない」という感情に襲われるときはあるものと聞きます。
 またそれとは違う方向で、たとえば子供が居れば、「自分は何も残さずに死ぬのではない」といった気持ちになれる方も少なからずいらっしゃるようで、まあ生物的に見ればそうか…とも思えたり。ただ自分は子供がいませんのでそこらへんも想像で追体験するしかないのですが。
 でも子供といっても、必ずしも自分の血がつながってなくても良いのかもしれません。誰かを親の立場になって育てるということがちゃんとできれば、それもまた重要な意義を持つといってもよいのでしょうね。


 「自分の人生に何かある」とか、さらに「わが人生に一片の悔い無し!」とかまでいける人は少ないのではないでしょうか。というより、そういう気分になれたからといって、その気持ちを持続させるほうが難しいということなのかもしれません。
 逆に言うとみんな大したことできないうちに生きて、死ぬんですね。ことさらそれを嘆く必要もないというか。だからこそそこで翻って、ささやかなことに喜べたらそれはそれで十分に意味のあることだと思っていいのだと最近は思えています。


 問題は、自分の気持ちが沈んだときにそういうことを自分に信じさせることができるかということ(あたり)なのかもしれません。これに関しては一人暮らしというのは大きなハンデだと感じます。