知識と知恵

 私は知識というものは体系化を志向するものだと考えています。そしてその知の体系に何某かを加えるものが学問といわれる活動ではないでしょうか。
 これに対して知恵というものはその場、時宜、事案に応じた知の使い方、応用、機転の働きを主にいうもので、知の総量的なものが少なくても、時にとても巧みに知を活かすこともできるといったイメージを持っています。
 情報としての知を習得するのが勉強です。量的に知を増やすことで裾野(引き出し)が広くなり、知恵を巡らす機会は増えるはずですので、その意味では知恵の方にも勉強は必要。そして自分の中に知をいただくばかりではなく、そこに何か付け加えたいという欲求が出てきた時、それは学問の営みになっていく…そういう感じかなと。


 ですから決して知識と知恵、学問と勉強といったあたりに基本的に上下関係は無いと思うのです。知識を持ち上げたりくさす必要もありませんし、学問を別に神聖視する必要もありません。それぞれの役割が違うという話だけで考えてみればいいのではないでしょうか。
 人によっては最低限の知でも良いと、それをうまく知恵で使って社会に参加できるなら結構だということにもなりますし、人によってはどんどん知の体系作りの側に参加したいという欲求が出て、そのために違う分野の知識を入れている余裕がなく専門馬鹿的に言われてしまう人がでたりもするのです。でもそのどちらもまあ自分の選んだ道ならば、満足して生きていける道かなと思えますし、変に批判などするものではありません。


 高等教育というあたりは、この役割の選択のために若い人が右往左往する場所であるように思います。大学が就職予備校であってはいけない、ということでもないだろうと。それはそれ、自分の適性は知に何某かを付け加えることにはないと思うならばそこで社会に参加していけばいいのですし、そちらの方に欲求を感じるのでしたらさらに進めばいいのだと思います。


 まあ適性と欲求が離れていたり、環境や状況の有利不利があったりするのは世の常。思い通りに行かない場合などたくさんあるでしょう。
 でもそこに上下関係やら何やらを見ないのでしたら、その点で鬱屈することなく生きていけますし、それは精神衛生上非常によろしい、と言えることだと思うのです。