差別主義?

 ちょっと昔書いたことをサルベージ

 数年前から「差別主義者」という言葉をネットで聞くようになり、それ以来妙にひっかかる言葉だなと思っていました。まず「主義主張で差別する」ってどういうことなのかイメージできなかったからです。


 身の回りの者を無差別に差別する、そういう唯我独尊の人が本当にいるのかな、なんて見当違いのことも考えてしまいましたが、あまりにもよくこの言葉は聞かれました。自分のうちではこれを「差別者」と変換して読むようにしてはおりました。


 その後、ああこれ(差別主義)はracismの訳語表現で、(差別主義者とは)racistのことを言っていたのかとようやく腑に落ちましたが、それにしても何か妙な感じがしないでしょうか?


 私は何でレイシズムが差別主義なんだ?と今でも思います。


 差別主義という差別が目的なものがあるわけではないでしょう。差別は、racismの結果として(場合によって)現れるものです。差別主義などという言葉は日本語としてとても座りが悪いように思えます。
 

 -ismを機械的に「−主義」と訳すのであれば、racismは民族主義・人種主義・自民族中心主義(ethno-centrism, race-centrism)とする方が意味がきちんと通じるでしょう。


 これは自分の属する人種や民族が他に優越していると考えるもので、しばしば異人種や異民族を劣ったものとして差別・排斥することにもつながる考え方です。(ただracismには民族的伝統などというポジティブな意味すらあるみたいですね)


 自分の民族は優秀であると無根拠に主張する、そういうレイシストもごめんですが…。
(※一部括弧で言葉を補いました)

 主張はどうあれ、「差別主義者」という悪意のラベリングをする人はどうかと思いますし、日本語感覚に欠けた感じがどうしてもしてしまいます。
 

 差別が目的である人なんていないのではないでしょうか?

昨日の続き

 トラックバックをいただきましたので、ちょっと昨日の日記などに絡めて…


 政治的とかいろいろ立場の違いはあれ、いずこも同じ秋の夕暮れ。他者の「代弁」で熱くなられる方は少なからずおられます。問題によっては私ももちろん例外ではありません。nucさんとやり取りがあった「大峰山の女人禁制」に関わる昨年のケースでは、私が大峰山の側の立場をいつか熱く代弁していました。


 局面局面によってもちろん自分が正しいと思った立場に肩入れをして語ることは決して間違いではないと思います。ただ、いつの間にかその渦中にいる(と自分が考えている)うちに、その反対の立場というものは見えなくなるなあと…これは実感でした。自分の側の正当性、あるいは多くの人がそう思うであろうというその思い込みから私ももちろん自由ではありません。
 たまたまこの時は途中でまったく他のことに気がいったり、あとnucさんも待ってくださったりして、自分が熱くなっていたことに気付けたのでした。そして、そこらへんで相手の方が何をどう考えているかを少し辿ってみる余裕ができたのはラッキーだったかなと、今はそう思います。
 どれだけ自分がいろいろ知ってるとしてももともとそこには限界がありますし、絶対の立場に立って進むのはさすがにまずいと…。聞く耳を持たなくなるのでは、いろいろもったいないかもしれないですから。(こういったことに関しては偉そうなことは言えないということでした。こういう風に殊勝なことを言っていても、悟りきったように動けないのも常ですけど 笑)


 あと昨日はmadrigallさんにコメントもいただいたのですが、昨日の記事は前後で二つの主題を書いてしまっていました。いただいたコメントは前の方に関してです。これはそれぞれの方が個々のお考えを持つところかもしれません。かなり私の憶測のようなところを書いていますが、いただいたコメントには私は共感いたします。
 ただ、それこそその弱さもわかるような気もしておりますので…難しいです。


 この頃ちょっと調子がでないなあと、そんな感じです。書くことはまだまだあるんですけど。