経済制裁の効果とは
国連安保理での北朝鮮に対する決議の駆け引きは佳境を迎えているようですが、決議案の射程にも入っている「経済制裁」について皆さんはどうお考えでしょうか? こんなことを話しますのも、「経済制裁」というものに何か硬直的な見方しかされない方が結構いらっしゃるようで、それがおかしいなと思うからです。
北朝鮮への経済制裁が話題にのぼって以来、それを「効果がないから(やめろ?)」とおっしゃるような議論を何度も目にしました。いわく「一国の行う経済制裁では抜け道が多いので何にもならない」とかいった調子のものです。
しかし実際、アメリカがマカオの銀行に行った限定的な経済制裁(ここだけなら24億円ほどの効果しかないと言われます)が北朝鮮指導部に大きくダメージを与えているようであるのと同じく、今回のミサイル発射に伴って日本政府が講じた、万景峰号の半年の入港禁止を含む経済制裁も一定の成果はあげると考えられるのではないでしょうか。
経済制裁に効果が無いとおっしゃる方のかなりの部分が、知ってか知らずか経済制裁を「相手に決定的なダメージを与えるもの」としてしか語られません。言ってみればそれは「特定の国に(すぐ)言うことをきかせるための武器」というような捉え方で、確かにそういう効果をあげられる経済制裁もあるでしょうが、経済制裁というものの目標や効きかたには普通に考えて多種多様な段階があるのは当たり前と私には思われます。
たとえば一番軽い方では最恵国待遇を止めるとか、一部貿易を制限するとか、そういった「こちら側の不快感を相手に伝える」ための目的だってあるでしょう。何も相手国に致命的なダメージを与えずにはおかない、というものばかりが経済制裁ではないはずです。
毎日新聞の「知りたい:経済制裁 成功2割の分析も」という解説記事では、佐藤優氏が「ミサイル発射は、弱者、北朝鮮のどう喝による日米への求愛。制裁案をいきなり安保理に持ち込んだ外務省は拙速だった。制裁がどこの国をも死活的にたたきつぶす効果がないのは、外交の常識」と語り、これを受けて毎日の藤原章生記者は「制裁そのものの効果を否定した」と結論づけています。
ちょっと待って欲しいと言いたいです。経済制裁を武器として考えるのはいいのですが、その武器・兵器にだって限定的な目的に使われるものがあるように、経済制裁にだって様々な目的に応じたあり方はあるでしょう。何も目的は北朝鮮のすべての人間を日干しにすることではないはずです。相手を「死活的にたたきつぶす」、つまり最終兵器としての意味がないからそれには全く効果が無いと結論づけるのは、議論として妙すぎます。
この間の「報道特集」でしたか、北朝鮮の元ミサイル開発者だったかが「北のミサイルの90%は日本製の部品でできている。その部品は万景峰号で数ヶ月おきに運ばれた」というような証言をしていました。確実な証明はありませんが、十分にさもありなんと思わせるだけの信憑性も感じます。そういう危惧があるのなら、ずっと万景峰号などの入港を禁じ続けるというのも、日本にとっての確実な利益と言えます。
囲碁で何も相手の大石を殺すことばかり考えなくてもいいように、少しずつこちらが有利になり相手が不利になるような手を打っていきさえすれば、最終的には勝ちが得られるわけです。特に日本は、国際紛争の解決手段としての直接の暴力を自らに禁じておりますので、限定的に相手に負荷を与える様々な手段はもっと研究されてしかるべきだと思います。経済制裁というのもその一つでしょう。
とにかく「(一国による)経済制裁には全く意味が無い」というような言い方は間違っていますし、それは単に論者の考えが浅いか、北朝鮮に対する圧力は掛けたくないというような特定の意図が込められたもののような気はいたします。
あんとに庵さんの個展に行って来た記2
私はニフティーでぱそ通していた時以来、ネット上で知り合った方(たち)とお会いしたのはただの一度しかありません。出不精だったというのもありますし、わんこと暮らし始めてからは都内辺りで暗くなるまで遊ぶというわけにもいかなくなっていましたから…。 今回は基本的に画廊にいくだけですし、いらっしゃらなかったらそれはそれで仕方がないと思い定めていたということも結果として出向こうという気持ちを固めてくれました。
ですから、普通ならその場にantonianさんがいらっしゃらなかった時点でもうひっそり帰るはずだったのです。福原さんの勧めがなかったら間違いなくそうでした。ひとえにオーナーのおかげです。感謝しております。略図を描いてまで勧めてくれたご好意を無にしたくないなと(最近、こういうおせっかいに飢えていますし)それのみで、勇気(←おおげさ)を奮い起こして喫茶店の重いドアを押したのでした。
ドアから反対側の奥の方に、髪を団子にした女性とあと数人の方々が談笑されております。こういう内輪っぽい輪の中に入っていくのは得意ではないのですが、もうお店の方もこちらに気付いておりますし、清水の舞台は蹴ったも同然。声を掛けなかったらただの馬鹿です。
「あの…失礼ですが…」
店の方にちょっと目で訳ありっぽくサインして(というか私はしたつもりで)、奥につかつかと歩み寄り、とうとう声をおかけしました。髪が団子の方に。
後で思ったのですが私は激しく緊張しておりまして、名刺でも出せばよかったものを(最後まで出すことを失念していたあほうは私です)唐突にブッタの写真を出して「これの親ですが…」とやってしまいました。
ほとんど「アチャー」な状況なのですが、antonianさんは優しくわかってくださり、ご挨拶だけで帰ろうと思っていた私に椅子を勧めてくださいました。ご一緒だった皆さん、すみませんでした。antonianさん、ありがとうございました。私は勧められるままに椅子に座り、その後30分ほど会話をさせていただいたのです。
antonianさんはラテンで素敵な女性でした。
まあたまたまその時ラテンモードにスイッチが入っていただけかもしれませんが、黒っぽい服だし、髪は団子だし、そのまんまラテンな画家という風に私には見えて、しかもお話のされようも(私には勝手に)ラテンの乗り風に感じられて、実は(とてもおしゃべりな私にしては非常に)寡黙な状態になって緊張してしまっていました。(逆にそれで普通の人ぐらいになっていたかも 笑)
とにかく緊張するやら恥ずかしいやらでしたが、結局お会いできて良かったですし、今はとても嬉しく思います。それにしてもその時は末席に加わるのがやっとで、絵や彫塑のことも全く話せませんでした。場を乱さないようにと思ったからでしたが、ああいう場合は(絵を見にきたことでもありますし)かえって失礼だったかなと。
それでantonianさんが画廊に戻られ、お友達が帰られるタイミングで私も店を出ました。店の外であわてて「後で感想でも書きます」とだけ申し上げることができました。ファーストコンタクトとしては出来のいいものではありませんでしたが、いっぱいいっぱいの私にはあれが限度だったと思います。悔いはあまりないです。むしろ後味は良いほうで…
今思ったのですが、antonianさんのラテンモードはもしかしたらサービスモードだったのかも。お疲れのところすみませんでした。そして繰り返し御礼申し上げます。行ってよかったです。絵の方も楽しめましたし。作品が売れていればなおよいのですが、私のポケットマネーにはちょっと…というところもあり、ただで愉しんでそれでご勘弁を。
ということでとりあえず顛末記はお仕舞いにしておきましょう。これ以上書いても襤褸がでるだけですので…
(と、ここで訳ありげにウインク. 幕)