プアは楽しめないの?

 いや、私も昨日のNHKスペシャルワーキングプア」は見ました(一部見逃してますが)。本当に大変な状況の方たちがいらっしゃるなあと思いました。ただこれは編集(演出)意図だったのかもしれませんが、苦労している方々が健気に辛さに耐えているようでしかなかったのにはちょっと残念な気もいたしました。もっと楽しそうにしている「プア」な人たちもいてもいい、見せてもいいのにとそう思ったのです。
 やはり昨日かおとといだったと思いますが、チャンネルをザッピングしていてほんのちょっとみかけた「一年間10万円で暮らす男の人」などは楽しそうだったですよ。自分の工夫を誇り、好きでこういう暮らしをしているんだというのが伝わってきました。楽しげな「貧乏自慢」の番組も確か民放でありましたよね。そういうのもあっていいと思うんです。


 今の私は、少なくとも金銭的には問題のない状況です。でも数年前までは楽な暮らしでもありませんでしたし、その前の院生時代、わんこ一匹を抱えながら年収は200万をちょっと越えるぐらいで、学費を払えばもちろん大台を切る程度の年も何度かありました。それでも年収の少なさで暗くなるということはあまりなかったように憶えています。もちろん離れていても家族はおりましたし、年齢的にも20代から30代と将来にあまり不安を感じない年回りだったこともその理由ではありましょうが…


 それでも収入が無い時分、時々は人生暗く感じることがないでもなかったですが、大抵そういう時は「他人と自分を比べてしまっている時」でした。同じくらいの年回りの誰彼、あるいは思考の中だけでの普通に職についている人とか結婚している人とか、そういう「普通」と自分を引き比べて、なんで自分は…という次第。


 敢えて暴論気味に申しますと、人と自分を比べると不幸に思えてしまうものです。強がりでも人は人、自分は自分と思えれば、不幸もそれほどには感じないのではないかと思います。
 だから昨日の番組では、「人と自分を比べない人」「好きで貧乏してますと言える人」「貧乏ネタで自慢できる人」なんかを、一人ぐらい紹介して欲しかったような気がします。番組の構成は崩れるかもしれませんが、かわいそうな人がいる、何とかしなければと考えるだけが「正しい」ことではないように思ってしまうんです。


 ネタでなら貧乏自慢、不幸自慢もいたしましょうが、基本的に幸福は金銭の多寡ではないと思っている(思いたい?)ので、少なくとも今の収入を以って罪悪感に駆られるようなことはいたしません(…でも本当に同じ歳の大卒ですぐ働いた方に比べれば全然低いですよ。35を過ぎてからの就職ですし。いずれ貧乏時代ネタは書くかも)


 昨日のNスペは「貧乏だと幸せではない」という予断が強すぎた感がありました。先のことを考えて不幸になったり、他人と引き比べて不幸になったりするのは「自分」次第のところも大きいと思うのです。いきなりラテンになれとは言えませんが、収入が少なくて不幸な感じの人ばかり見せていては、他の収入が少ない人もどんどん(自分が)不幸に思えてしまうだけですよ。その逆のパターンまで見せるくらいでなければ…

右翼・左翼(ちょっと昨日の続き)

 少し以前に「帰属処理」などという語を調べてみる機会がありましたが(1/31「帰属処理と切断操作?」)、そこで確認した「帰属」という社会学用語を昨日拾ったsinnichiroinabaさんのご紹介の本、田島正樹『読む哲学事典』の記述に絡めてみますと…

 ウ派というのは、もともと集団としての国家に問題がない(あるいはかつては良かった)という認識を持つので、様々に生起する問題の理由や原因を「外部」からのものに求める。すなわち外的帰属(external attribuiton)による説明をしがちなグループである。

 サ派というのは、現在の国家のあり方に問題がある(昔も今も満足できる状態にはない)という認識を持つので、様々に生起する問題の理由や原因を「内部」からのものに求める。すなわち内的帰属(internal attribution)による説明をしがちなグループである。

 という具合にでもなろうかと思います。
 帰属(attribution)とは「自他の行動や事象の生起と結果について、その理由や原因をどこに求めるか」を言う言葉で、たとえば試験の成績が悪かったときなど「自分の努力が足りなかった」というように内側に原因を求めるのが内的帰属、「教師の教え方が悪かった」などのように外側に原因を求めるのが外的帰属というように分けられています。


 実際は様々な問題の生起や結果の原因・理由を、一概に内部にあるとか外部にあるとか決め付けることなどできません。ケースバイケースで、内的要因の方が問題だったり外的要因の方が問題だったり、たいていの場合それらの複合による要因となっていたりするものでしょう。ただ同じ事象に対しても、どちらを優先して問題とするかによって、およそ逆の結論が導けたりもするものです。で、それぞれの立場では自分の結論が「客観的」なものに見えると…


 この構図では、ウ派がサ派に対して「何で外の原因に目をつぶっているんだ」とか「自虐的で外には盲目的」と文句をつけることになるでしょうし、サ派はウ派に対して「外敵に原因を擦り付けている」とか「内部の構造的問題に無自覚」と文句をつけることにもなるでしょう。確かにこうした作業仮説は、現在の言論の二分化された風潮のある面をうまく説明するようにも思えます。


 それにしても求道的な道徳といいますか伝統的な日本の倫理として「他人の所為にするな。自分の問題として対処しろ」という倫理観を称揚するものがありましたが、この構図ではサ派がその道徳に近いということになりますね。そしてドライに「原因は外にも求められる。自分の所為でないものは自分が反省することはない」というような合理的な倫理観がウ派のものとなっているようでもあります。
 奇妙なねじれがあるように見えます…