右翼・左翼(ちょっと昨日の続き)

 少し以前に「帰属処理」などという語を調べてみる機会がありましたが(1/31「帰属処理と切断操作?」)、そこで確認した「帰属」という社会学用語を昨日拾ったsinnichiroinabaさんのご紹介の本、田島正樹『読む哲学事典』の記述に絡めてみますと…

 ウ派というのは、もともと集団としての国家に問題がない(あるいはかつては良かった)という認識を持つので、様々に生起する問題の理由や原因を「外部」からのものに求める。すなわち外的帰属(external attribuiton)による説明をしがちなグループである。

 サ派というのは、現在の国家のあり方に問題がある(昔も今も満足できる状態にはない)という認識を持つので、様々に生起する問題の理由や原因を「内部」からのものに求める。すなわち内的帰属(internal attribution)による説明をしがちなグループである。

 という具合にでもなろうかと思います。
 帰属(attribution)とは「自他の行動や事象の生起と結果について、その理由や原因をどこに求めるか」を言う言葉で、たとえば試験の成績が悪かったときなど「自分の努力が足りなかった」というように内側に原因を求めるのが内的帰属、「教師の教え方が悪かった」などのように外側に原因を求めるのが外的帰属というように分けられています。


 実際は様々な問題の生起や結果の原因・理由を、一概に内部にあるとか外部にあるとか決め付けることなどできません。ケースバイケースで、内的要因の方が問題だったり外的要因の方が問題だったり、たいていの場合それらの複合による要因となっていたりするものでしょう。ただ同じ事象に対しても、どちらを優先して問題とするかによって、およそ逆の結論が導けたりもするものです。で、それぞれの立場では自分の結論が「客観的」なものに見えると…


 この構図では、ウ派がサ派に対して「何で外の原因に目をつぶっているんだ」とか「自虐的で外には盲目的」と文句をつけることになるでしょうし、サ派はウ派に対して「外敵に原因を擦り付けている」とか「内部の構造的問題に無自覚」と文句をつけることにもなるでしょう。確かにこうした作業仮説は、現在の言論の二分化された風潮のある面をうまく説明するようにも思えます。


 それにしても求道的な道徳といいますか伝統的な日本の倫理として「他人の所為にするな。自分の問題として対処しろ」という倫理観を称揚するものがありましたが、この構図ではサ派がその道徳に近いということになりますね。そしてドライに「原因は外にも求められる。自分の所為でないものは自分が反省することはない」というような合理的な倫理観がウ派のものとなっているようでもあります。
 奇妙なねじれがあるように見えます…