少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」OPナレーション1

uumin32006-08-01

第一回「ラベンダーの謎」

SE「ギ〜〜ッ(扉の開く音)」(揺り椅子に座ったシルエットの男が語り始める…)

 1803年、3月24日。
 今の、茨城県の海岸に、何とも奇妙な形の船が流れ着き、調べてみると、誰も見たことがないようなおかしな服装の女が一人乗っていたと言います…


 このことは、天保年間、江戸で出版された『梅の塵』という本に記録され、挿絵には、まるで空飛ぶ円盤のような形の船が書いてあります…


 その船は何だったのか…


 宇宙船だったのでしょうか。
 それとも…
 もしかしたらタイムマシンではなかったのか…
 と、すれば、中に乗っていた女というのは…


 時間の流れを飛び越えることができる人間、タイム・トラベラーが、今にも…たった今にも、姿を現すかもしれません…


 しかも…
 あなたの身近なところに…


(テーマ音楽)


 芳山和子。中学三年生。
 これから数分後に、彼女は不思議な体験をすることになるのです…


 もちろん…本人はそんなことは夢にも思っていないのです…
 とにかく、芳山和子は今日、理科室の掃除当番なのです…
(ナレーション:城達也

責任の所在

 antonianさんがお怒りです。
 [社会・時事]デザイン業界ピンチ

▼編集機能、中国へ 日本の雑誌で動き盛ん 人件費安く日本語堪能

 張社長によると、「日本人編集者1人を解雇すれば、こちらで8人雇える」という徹底したコストダウンがこうした日中合作の雑誌作りを生み出した。張社長は東京の印刷会社に勤めたことがあり、DTP(コンピューター机上出版)技術さえあれば中国の若い編集者でも十分こなせる自信があったようだ。


 つまりDTPの発達で雑誌編集もグローバル化が避けられなくなったともいえるが、もう一つ重要なのは日本語を扱える人材が上海に多かったことだ。張社長自身、日本留学帰りだが、日本側編集責任者と電話で打ち合わせし、レイアウト作成と校正を中国側スタッフに指示する責任者も日本留学帰りだ。

デザイナーや編集者の仕事は日本ではなくなるということか?


中国にこのように雇用を移転することで日本の失業者がまた増える。安い人件費で雇える土地で雇い、日本の失業者からは仕事がどんどんなくなっていく。コストダウンはこのような構造に支えられているというわけだな。


切られた多くの失業者は中国における下流層のごとき生活を強いられ、しかし日本は生活物価が異常に高いので飢え死にし、一部のトップのみが隣国の安い労働者を使うことで潤うという光景がグローバル化ということだよ。
(後略)

 さて、この状況を招来したのは誰で、誰が責任を追及されるべきなのでしょうか?


 それはもちろん引用記事中に「DTPの発達で雑誌編集もグローバル化が避けられなくなった」とあるように、DTP技術の発展と普及を担ってきた張本人こそが元凶でしょう。そう、勘のいい皆さんにはもう自明のことと思いますが、それはApple Computer社です。


 1984年、Apple Computerは「Macintosh」を世に送り出します。1980年代にはこのMacの上でMicrosoft OfficeAdobeの主要製品が生み出されていきました。

 Macを世に送り出したジョブズは,次にまだ高価だったレーザープリンタの製品化に熱意を見せた。Mac本体よりはるかに高価な周辺機器の開発に取締役会は反対したが,LaserWriterをネットワーク接続で共有するMacintosh Office構想を唱えて,これに反論。7000ドルで製品化した。やがて,これがきっかけでアルダス(現アドビ社の一部)の「PageMaker」と,まだ机上の空論でしかなかったアドビのPost Script技術が結びつき,DTP市場が誕生する。(参照


 当時のMacintoshは、シングルタスクながらもWYSIWYG対応*1の強力なグラフィックを売りにしていて、これに「PageMaker」と「LaserWriter」シリーズが組み合わせられることによって印刷工程に革命が起きました。すなわちそれまでは版を起こしたりして大変だった印刷工程が、Macレーザープリンターという百万くらいのシステムで完成してしまうというブレイクスルーがここに出現。そしてこれこそがDTPを可能にしたものなのです。
 1989年にApple Computerは日本法人「アップルコンピュータ社」を立ち上げ、業界初の日本語ポストスクリプトプリンタ「LaserWriter II NTX-J」を発表。日本でのDTP市場に先鞭を付けました。 等々つまりDTPの発達と日本での定着をひとえに担ったアップルこそが、今日の状況を生み出した元凶といって過言ではないのです。
 ウォズニアック許すまじ! ジョブス討つべし!




 …というようなことを書いたままにすると怒られちゃいますので念のために申しますと(野暮ですが)、もちろん大真面目にアップルを責めることなど誰にもできはしません。包丁で人が殺されたからといって、その包丁を作ったり売ったりした人が殺人の共犯とならないのと同様です。
 しかし世の中には、この程度の論理のつながりで「誰か」を元凶扱いしたり、責任を負わせて糾弾したりといったことが結構あるのではないでしょうか? 本当に責任の追及とか因果関係の指摘とかいうものは難しいものです。どこに目をつけるかによって全然違うものが見えてきたりしますから…


 たとえば先日のドミニカ移民の補償問題などでは、日本政府、とりわけ外務省とその出先であるドミニカ大使館の対応のまずさなどが様々に言われました。私も経緯を知るにつれ許せないと思えてきたのでしたが、ふと考えてみるとこのケースで、移民話を持ちかけてきたはずの当時のドミニカ政府、そしてエクトル・トルヒーリョ将軍の責任をメディアはほとんど問題にしていないようなのです。言わば詐欺師の主犯について糾弾せず、二次被害を防げなかったからと従犯(的存在)だけ叩いているようなもので、これは何故なんだろうとちょっと思ってしまっていました。もちろん独裁者だったと言われるトルヒーリョ将軍はとっくに暗殺されていて、直接責任の話を今のドミニカ共和国政府にもっていくわけにもいきませんが…。それならば北朝鮮による日本人拉致問題、このケースでもし金正日が死んで(あるいは殺されて)責任者がいなくなったとなれば、もう北朝鮮の責任は問えなくなるのでしょうか? そんなはずないですよね? まったく以って責任の追及というものは難しいと思わせられます…

*1:何と懐かしい言葉!

一つのショット

 ナパーム弾攻撃を受けたトランバン(TrangBang)の村から逃げてくる子供たち。一人の女の子がまるはだかで、両手を力なく広げて泣き叫びながら走ってきている(写真

ベトナム戦争の報道写真の中でも特に記憶に残る一枚です。この女の子は当時9歳だったKim Phuc Phan Thi。AP通信のカメラマンHuynh Cong Utが写真を撮りました。)


 昨日のQANA空爆のニュースの中で、子供の亡骸を抱えてうつろな目をして歩く男性の画像がありました。その情景が非常に多弁に悲惨さを伝えています。
 理念とか、背景知識とか、想像力とか、そういったものよりも私たちに訴求する一枚のショットというものがあるということを、20世紀に人は覚えたのだと思います。それゆえプロパガンダに使われる「作られた画像」というものも出てきたのですが、その危険性を認識しつつも動かされるときには人は動かされるもの。私にとっては昨日の死んだ男の子と男性の画像がそれでした。


 メッセージくさい歌や詩や、そういったものには普段懐疑的でもあるのですが、視覚情報で一瞬に心を貫かれることもあるんだと改めて認識しました。直覚的に「この戦争は止めなければならない」と思わされました。


 こちらの報道サイトの「カナの虐殺 Masacrul de la Qana - galerie foto」にも13枚の画像があります。昨日のあの画像とかなり似た構図のもの(男の子を抱く男性)も胸を打ちますが、二人の男の子の死体がビニールに入れられた画像(リンク)も見ているととてもつらくなります。