長崎市の伊藤市長撃たれる

 というニュース速報がありました。NHKでは急遽番組をニュースに変えて速報しています。
 今日午後八時前、JR長崎駅前で長崎市伊藤一長市長が男に拳銃で撃たれ、病院へ運ばれた模様。
 撃たれた伊藤市長は呼びかけに答えなかったということで、容態が気にかかります。
 撃った男はその場で警察などに取り押さえられ、パトカーに運び込まれました(7:50ごろ)。
 伊藤市長は、任期満了に伴う長崎市長選(4月15日告示、22日投開票)で4期目に立候補したところでした。


 取り押さえられた男は黙秘を続け、名前すら言わないとのこと。
 伊藤市長は救急車に乗せられ、8時10分頃長崎大学医学部付属病院に搬入されたそうですが、現在意識不明の重態。
 市役所幹部は病院に集まり、市職員も市役所に向かっているそうです。


 市長を撃った男は、山口組水心会会長代行白尾哲彌(59)。市長は心配停止状態。
 白尾容疑者は長崎市と自動車事故を巡ってトラブルがあったとの情報。
 白尾容疑者の自動車が道路工事の穴ぼこに落ちて傷がつき、保険会社に補償を求めて拒否され、今度は工事発注者である長崎市の責を問うてそれも却下されたことがあったとのこと。


 今日のアメリカの銃乱射33人死亡の事件といい、この伊藤市長の狙撃事件といい、こういう目の前の人間の命を奪うことすらするのが「他者」の他者性なのです。これでもしこれらの事件を起こした犯人の背景や動機にどのような情報があがってきたとしても、それはおそらく究極のところでは「わからない」ものであり続けるでしょう。
 不条理です。

昨日の日記のコメント欄

 に、takisawaさん宛てのレスとして(私が以下の文章を)書いたのですが、自分でも筋立てがすっきりしたような気がしましたのでこちらに転載しておきます。

 それにね、これまた繰り返しなんですが、私の筋立てでは「募金200円入れなかったから間接的人殺し」という話は全体の中の一部です。そこにポイントがあるわけではないんです。情緒的にそこに納得してしまわれた方も多くいらっしゃるようですが、そこの喩えが「アメリカの銃規制に積極的に反対しなかったから間接的人殺し」でも「韓国の犬食文化を批判しなかったから間接的犬殺し」でも話は同じだと思っています。


 つまりそれは「あなたは○○について何もしていないから△△について罪がある」というような論法なんです。私が否定したいものはこれです。
 もちろん一つ一つ見ていけば、個々人の判断によってその「問責」を受けいれるケースだってあるでしょう。たまたまここで「先進国は第三世界を踏み台にしている。それについて何もしていないから、あなたは少なくとも彼らを食い物にしていると認識すべきだ」というようなことになっているから、それをtakisawaさんは受けいれようと言っているんでしょう?


 でも私が相手にしようとしているのは、この一つの例がどうだということではなくて、上のような論法すべてなんですよ。そんなアバウトな話はないと。一つ一つ自分で考えて、その責任を受けいれるかどうか自分で判断することだと。そういう論法で他者を責める人間は「ごまかし」を行おうとしているんだと、それを聞いてもらおうというのがもくろみのすべてなんです。

 (全文やそのやり取りは昨日の日記の※欄へ)

小さい時から

 私は物心ついたころから単純に人を信じる子供ではありませんでした。それは別に何か自分に確信があって他の人を信じないというものではなく、「自分の思うようにならない」「自分の予想を裏切る」のが他の人だと感じていたのです。
 今機嫌よく笑っていた人が次の瞬間不機嫌になり突然自分に対して辛くあたっても驚かないといいますか、そういう自分ではわからないところを持つのが他の人だと考えていたと憶えています。特別にそれで寂しいとかいうのでもないんですよ。信じきっていない分だけ失望も少なく、合わせるのだけは長けていましたし、うまくやれている時に楽しければそれでいいんだと思っていました。
 ただとても微妙なものですが、現実に対してある種の距離感というものも感じていました。時折出てくる空想で、この世界は自分以外は全部「演技者」であり、裏で示し合わせて何事か私の前でお芝居している…というものがありました。鉄道で遠くへ行った時など「ああ、また同じセットを使ってる」みたいにデジャヴュっぽいことの説明までしてました。
 よく考えてみると、これは自分の知らない「世界」にひとり立ち入って行こうとする「個」の自我としては「わかりやすい」物語なのでして、何も自分だけ特異だったとも思いません。現に、その筋立てと同じ物語をハインラインのSF「彼ら They」(『輪廻の蛇 ハインライン傑作集2』ハヤカワ文庫、所収)で見つけたこともありますし、これは私が生まれる前に書かれたものでした。


 たぶんそういうところから、私が周囲の人に取る間合いはいくぶん通常より広めであったかもしれません。それで大して不都合もありませんでした。ただ、急に自分の間合いに入ってくる人には強く警戒感を持ったというのはあります。
 友達という言葉にも少しこだわり*1と言いますか簡単には使えないところがありました。クラスメイトはクラスメイト、それを簡単に友達などとは言えなかったですし、よく考えれば「親友」という言葉を私から誰かに使ったことはなかったように思います。


 そうなんですけれども、「人がわかりあえる」という物語には拒否感ではなく大きな感動を感じる方でした。そしてそういうラッキーでレアなことが自分にも起らないかと夢想するタイプでしたね。後にお酒を飲むようになって、飲むといきなり自分の間合いを縮めることができるのに気付き、毎日のように飲んでました(というより「ます」笑)。でもお酒のことは醒めれば終わりで、大きな期待もせず、失望もせず、何となく読む本ばかり増えるといったような淡々とした日々を送っていました。


 そういう私が卒論で書いた主題は「独我論」の正当性はあるのかどうかといったもので、小難しいジャーゴンまみれのものでしたが、その後もぼちぼち考えてみますとたいして難しい言葉を用いなくても言えることでした。それはこの日記でも「他者論」のカテゴリーで書いたところに置いてあります。


 今日も五時ごろ目が覚めてしまいました。犬と暮らしていた時の習慣がまだ残っているのか、それとも歳を取ったからか、この時期は日の出が早くなってきますのでこういう不具合がありますね。ということでこの時間に、思いついたことをつらつらと書いてみました。
 他者の怖さだ何だと言いますが、結局は個人的なところから出てくるのかなとふと思ったのです。あえてそこにレヴィナスを引かないのがここでのたしなみ。もちろんこの場でレヴィナスって誰?と聞いてくるような不心得ものが存在していようはずもない…

*1:もともとの悪い意味で