昨日の日記のコメント欄

 に、takisawaさん宛てのレスとして(私が以下の文章を)書いたのですが、自分でも筋立てがすっきりしたような気がしましたのでこちらに転載しておきます。

 それにね、これまた繰り返しなんですが、私の筋立てでは「募金200円入れなかったから間接的人殺し」という話は全体の中の一部です。そこにポイントがあるわけではないんです。情緒的にそこに納得してしまわれた方も多くいらっしゃるようですが、そこの喩えが「アメリカの銃規制に積極的に反対しなかったから間接的人殺し」でも「韓国の犬食文化を批判しなかったから間接的犬殺し」でも話は同じだと思っています。


 つまりそれは「あなたは○○について何もしていないから△△について罪がある」というような論法なんです。私が否定したいものはこれです。
 もちろん一つ一つ見ていけば、個々人の判断によってその「問責」を受けいれるケースだってあるでしょう。たまたまここで「先進国は第三世界を踏み台にしている。それについて何もしていないから、あなたは少なくとも彼らを食い物にしていると認識すべきだ」というようなことになっているから、それをtakisawaさんは受けいれようと言っているんでしょう?


 でも私が相手にしようとしているのは、この一つの例がどうだということではなくて、上のような論法すべてなんですよ。そんなアバウトな話はないと。一つ一つ自分で考えて、その責任を受けいれるかどうか自分で判断することだと。そういう論法で他者を責める人間は「ごまかし」を行おうとしているんだと、それを聞いてもらおうというのがもくろみのすべてなんです。

 (全文やそのやり取りは昨日の日記の※欄へ)