オヤジにモテる
ちょっと目に付いたアルファルファモザイクの「IT業界の飲み会ってウゼー」という記事。オヤジたちに誘われて出る飲み会がウザイというネタであれこれ語られるのですが、
48 非決定性名無しさん :2005/06/08(水) 01:49:53
飲みに誘われたら本音はめんどくさいなあと思っているのも結構おおい。
50 非決定性名無しさん :2005/06/08(水) 12:33:20
連れ立って昼メシ食いに行くの嫌れえ。今ビルから出たらコピー機メーカーの
エンジニアが自社のマーク付きの車で颯爽と次の客先に向かったの見てたらう
らやましくなった。(後略)
55 非決定性名無しさん :2005/06/08(水) 21:45:56
「部下の心をつかむ」とかいうHOW TO本には必ず
「時には飲み会などの席を設けて部下の心をつかめ」
とか書いてあるよね。
飲み会=ノミニュケーション?
寒っ!
ここらへんがよく聞く言葉でしょうね。似たようなことはいろんなところで聴きました。
でも、もしかしたら「オヤジ」たちは他にコミュニケーションの手段を持ち合わせていないのかもしれません。話題にしても重ならず、他に適当な方法がないので「飲み」にこだわるのかもしれないんです。
そしてその時、「あなたとコミュニケーションが取りたい」という気持は本物かもしれないということを軽々に無視していいものかとも思うんですね。一緒にいた記憶を多く持ちたいというのは、かけがえのない人としての関係を持ちたいということかもしれないじゃないですか。
確かにうざったい気持を持つこともあるでしょうが、煎じ詰めれば「モテ」のシチュエーションですよこれは。
「オヤジうぜー」とか言って勘弁してみたいな素振りをしているのは、無駄にモテてしかたがない、たまに付き合ってやるけどしつこくて…みたいに「モテる男を気取っている」姿と重なっても見えるなあとちょっと思いました。
正直に心情を書いているのでしょうけど、別の見方もあるということで…
傷ついた…という攻撃
もう二十年も三十年も前から(憶えてる限りでは)「私(自分)は傷ついた」というのは責める言葉としても働くものだったはず。今だってそれは変わっていないと思いますし、おそらくその有効性はまだ生きているんでしょう。
ただこの言葉が効くのはその私(自分)が傷ついたことを相手(あるいは周囲)が無視できない場合に限られますし、「だから?」なんて切り返された日には攻撃がブーメランして自分にぐさりとくること請け合いです。
自分が傷ついたということでアピールできるのは…
・相手が「人を傷つけることは悪いこと」とナイーブに思ってくれる場合 (状況を捨象して、一般論としてその悪さを認識してくれる) ・相手が自分との関係を壊したくないと思ってくれる場合 (自分への愛情とか友情とかそういう希求・志向がある場合などはもちろん) ・相手はともかく、自分のそういう声に対して無視できない周囲がいる場合 (同情・共感を寄せてくれる人、場合によっては相手に対する悪感情を共有してくれる人がいる)
大体こういうケースに限られるような気もします。切り分けて見ると、さすがにここにはちょっと甘えもあるなあと思える感じですね。
自分は全然これで甘えたことがないかと言いますと…何度か使ったこともあるはず(笑)甘えたくなる時もあるんですよ、やっぱり。でもそこらへんが見透かされて反撃をくらったこともあったりします。
最近はこういうことは気恥ずかしくなって(それだけ歳を食ったという感じでしょうか)ほとんど使っていないはずですし、こういうのを傍でみて自分が赤面してしまうということもありますね。初恋なんかと比べられるくらい甘酸っぱい気分にさせられます…