傷ついた…という攻撃

 もう二十年も三十年も前から(憶えてる限りでは)「私(自分)は傷ついた」というのは責める言葉としても働くものだったはず。今だってそれは変わっていないと思いますし、おそらくその有効性はまだ生きているんでしょう。
 ただこの言葉が効くのはその私(自分)が傷ついたことを相手(あるいは周囲)が無視できない場合に限られますし、「だから?」なんて切り返された日には攻撃がブーメランして自分にぐさりとくること請け合いです。
 

 自分が傷ついたということでアピールできるのは…

・相手が「人を傷つけることは悪いこと」とナイーブに思ってくれる場合
 (状況を捨象して、一般論としてその悪さを認識してくれる)
・相手が自分との関係を壊したくないと思ってくれる場合
 (自分への愛情とか友情とかそういう希求・志向がある場合などはもちろん)
・相手はともかく、自分のそういう声に対して無視できない周囲がいる場合
 (同情・共感を寄せてくれる人、場合によっては相手に対する悪感情を共有してくれる人がいる)

 大体こういうケースに限られるような気もします。切り分けて見ると、さすがにここにはちょっと甘えもあるなあと思える感じですね。
 自分は全然これで甘えたことがないかと言いますと…何度か使ったこともあるはず(笑)甘えたくなる時もあるんですよ、やっぱり。でもそこらへんが見透かされて反撃をくらったこともあったりします。
 最近はこういうことは気恥ずかしくなって(それだけ歳を食ったという感じでしょうか)ほとんど使っていないはずですし、こういうのを傍でみて自分が赤面してしまうということもありますね。初恋なんかと比べられるくらい甘酸っぱい気分にさせられます…