パンダとチベット

 上野動物園のパンダが死んだというニュースを聞いて、そういえばペマ・ギャルポさんだったか「パンダはチベットのもの」と(確かテレビで)話していたのを思い出しました。検索してみたところ、5月2日付けの産経抄でも

▼そもそも、ランランとカンカンは、日中国交回復に伴うプレゼントだった。中国は米国、英国、フランスなどにもつがいを贈り、「パンダ外交」を繰り広げてきた。チベット出身のペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学教授によれば、パンダはチベットの動物だ。五輪のマスコットにも使っているのは、チベット支配を正当化する政治利用にほかならない。

 ということが書かれていて、チベットの人にとってはそういう認識だったのかと改めて思いました。


 また、かなり以前からチベットのことを採り上げておられる「旅限無(りょげむ)」というサイトでも「パンダはチベットの動物です」というそのものズバリの記事がありました。

■随分前ですが、フジテレビの資本で『パンダ物語』という映画が作られました。研究所から逃げ出した子供パンダ君が雪深い山に迷い込んでしまって、それを日本人の女の子が救うという命知らずで傍迷惑な脚本(ちょっと話を端折ってますので、熱烈なファンの方は怒らないように…)に、一度だけ観てひっくり返ってしまった思い出がございますなあ。しかし、ちゃんとパンダと娘さんを探し回る現地の人々や、娘さんと仲良く遭難しかける少年は、全員がチベット服を着ている!この点は立派な映画です。全員が人民服を着ていたら、その段階で観るのを止めたでしょうが、ちゃんと最後まで観ましたぞ。


■残念ながら、パンダを意味する正確なチベット語は残っていません。7世紀に作られたチベット語は、仏教と無関係な名詞には無関心なのです。まして、食糧にも薬にも使えない動物の名前は不必要なのでしょうなあ。因みに、遊牧民であるチベットの伝統にペットを飼う習慣は有りません。それにしても、何時の間にパンダは「中国の代表的な動物」になってしまったのでしょう?あと100年もすると、インド象ベンガル虎も「中国の動物」になるかも知れませんなあ。その前にシベリアのマンモスが危ないかも……。


 さらにこれまた検索で見つけたのですが、Ohmynewsでも神田もつらさんという方が「新しいパンダは中国から来るの?」という記事で

 パンダは「四川省の山奥の生き物」と言われているが、その山奥とは、チベット民族の居住地域アバ州のことであり、そもそもパンダはチベットの生き物だと言えるのである。そのパンダが中国の外交カードというのもまた、恐ろしい話だ。

 という具合にパンダの出自に触れておられます。


 Wikipediaジャイアント・パンダの項にある「生息分布図」の地図と、NHK時論公論ゆれる五輪 チベット問題」で使われたチベットの図(中国のチベット自治区のほか、青海省四川省甘粛省、そして雲南省などのうち、チベット人が住む地域も含まれ、中国の総面積の4分の1を占める広大な地域)を比べてみると、確かにここはチベットの方からすると自分たちの土地なんだなと思われました。


 ただこの「大チベット」ですが、googleで検索した時にどれだけ多くの上位検索結果に「『大チベット』は歴史上に存在したことはなかった云々」という学説(というか中国政府の公式見解)が含まれていることでしょう。いかに神経過敏になっているかここからも窺えますね。


 もしかしたら中国政府がチベット独立を闇雲に怖れるのは、地下資源がどうこうとかいうことではなくて、「パンダ外交」ができなくなることを怖がっているのかもしれません(笑)
 いずれにせよこの国際政治的に微妙な時期に、福田首相がリンリンの替わりのパンダをおねだりするといったような恥ずかしいまねだけはどうかしないで欲しいものです。

PTA会長に男性が多いわけ

 azumyさんの『深く考えないで捨てるように書く』で「素朴な質問だが」という記事があり、

 素朴な疑問なんだが、どうしてPTA会長って男性が多いのだろう。


 女性が会長を務める学校ももちろんあるらしいのだが、なぜか会長だけは男性、というところもけっこうあるようで。特に規則として決まってはいないが、不文律として男性が務める、という場合もある。


 かといって、一般の役員・委員に男性が相当数いるということもなく。つまり、会長職をするためだけに、どこかから引っ張られてきて、とりあえずやる、という状況になっている。組織に詳しいからでもなく、PTAという組織に対して思うところがあるから、というわけでもなく。


 さらに、その裏には、影の会長とも言うべき人が隠れていたりする。そうでなければPTA活動自体は動かないから。その影の会長は、何年か一般の役員を務めてきた副会長とかだったりして、往々にして女性である。

 という疑問が呈されていました。コメント欄に書こうと思いましたが、ちょっと長い引用もありますのでここで。


 それはおそらく、戦前にも各学校にあった「親の会」(後援会、奨学会、父兄会、父母会、母の会等々)がPTAと看板を架け替えた例が多く、その「親の会」がそうであったから…という理由ではないかと考えられます。


 社団法人日本PTA全国協議会のサイトで「日本PTAの歩み」というものがありますが、そこに
 日本PTA50年の歩みと今後の展望 第2章第1節1

 極めて短い期間内に、全国津々浦々の学校にPTAが組織されることになったが、それが可能だったのは、ほとんどの学校に戦前から運営されてきた親の会があったからであり、それらがPTAの直接の母体になったからであった。

 表向きは教育の振興を目的としていたが、実態的には学校に対する物的援助(公費の補填)が主な役割だった。


 当時、こうした旧組識の「発展的解消」により、PTAの結成を図るということが盛んに言われたが、結局は単に名称がPTAと変わっただけで、その内実はほとんど旧組識と異ならないというのも少なくなかった。
先の昭和23年の文部省調査報告でも、
 「旧来のものをPTAに切り替えたもので、真にPTAであるものは極く少なく、おおむね後援会的性格を払拭できないで、単なる看板のぬり替えに過ぎないものが多い。」
とされている。


 また、PTA結成の動機についても、同調査では、「県の指令によるもの」と答えたものがもっとも多く、新しい組識を自ら積極的に結成するというものではなく、行政などからの指示によるという受身のものが主であったらしい。
 同時に、「時流に便乗して簡単につくったもの」と答えたのが多かったのもそのことを物語っていると思われる。


 また、同じ時期に行われた毎日新聞の「PTA世論調査」(昭和23年5月)でも、後援会の温存、民主化の不徹底、ボスの台頭などが問題視されるようになっている。


 このことは、CIEなどの指導にもかかわらず、PTAが従来の学校への寄付集めに適した地域の有力者によるボス的支配の傾向が著しい団体として存することとなった。

 という分析がありました。


 結局「地方ボス」の多くが男性であった。そういう人でなければ寄付金集めなどが難しかったので、形だけでも親の会はそういう人を担ぐ形で存在していた。GHQの命により作られたPTAもこの親の会がそのまま継承された例が多く、それが「会長は男」というよくわからない伝統を残すことにつながる…


 ということではないかと。

日本酒の五味

 酒には五味がある、という話を最初に伺ったのは確か佐々木久子さんのエッセイでした。その五味とは甘・酸・辛・苦・渋の五つである、というのですが、甘みは別として残りは「辛酸」と「苦渋」ですよ!
 とんでもないと、早く味がわかるようになりたいものだと真剣に思いましたね。
 

 あの頃は早く大人になりたいと思っていたものでした。
 いまだにちゃんと大人になれたとは感じられていませんが。