PTA会長に男性が多いわけ
azumyさんの『深く考えないで捨てるように書く』で「素朴な質問だが」という記事があり、
素朴な疑問なんだが、どうしてPTA会長って男性が多いのだろう。
女性が会長を務める学校ももちろんあるらしいのだが、なぜか会長だけは男性、というところもけっこうあるようで。特に規則として決まってはいないが、不文律として男性が務める、という場合もある。
かといって、一般の役員・委員に男性が相当数いるということもなく。つまり、会長職をするためだけに、どこかから引っ張られてきて、とりあえずやる、という状況になっている。組織に詳しいからでもなく、PTAという組織に対して思うところがあるから、というわけでもなく。
さらに、その裏には、影の会長とも言うべき人が隠れていたりする。そうでなければPTA活動自体は動かないから。その影の会長は、何年か一般の役員を務めてきた副会長とかだったりして、往々にして女性である。
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という疑問が呈されていました。コメント欄に書こうと思いましたが、ちょっと長い引用もありますのでここで。
それはおそらく、戦前にも各学校にあった「親の会」(後援会、奨学会、父兄会、父母会、母の会等々)がPTAと看板を架け替えた例が多く、その「親の会」がそうであったから…という理由ではないかと考えられます。
社団法人日本PTA全国協議会のサイトで「日本PTAの歩み」というものがありますが、そこに
日本PTA50年の歩みと今後の展望 第2章第1節1
極めて短い期間内に、全国津々浦々の学校にPTAが組織されることになったが、それが可能だったのは、ほとんどの学校に戦前から運営されてきた親の会があったからであり、それらがPTAの直接の母体になったからであった。
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表向きは教育の振興を目的としていたが、実態的には学校に対する物的援助(公費の補填)が主な役割だった。
当時、こうした旧組識の「発展的解消」により、PTAの結成を図るということが盛んに言われたが、結局は単に名称がPTAと変わっただけで、その内実はほとんど旧組識と異ならないというのも少なくなかった。
先の昭和23年の文部省調査報告でも、
「旧来のものをPTAに切り替えたもので、真にPTAであるものは極く少なく、おおむね後援会的性格を払拭できないで、単なる看板のぬり替えに過ぎないものが多い。」
とされている。
また、PTA結成の動機についても、同調査では、「県の指令によるもの」と答えたものがもっとも多く、新しい組識を自ら積極的に結成するというものではなく、行政などからの指示によるという受身のものが主であったらしい。
同時に、「時流に便乗して簡単につくったもの」と答えたのが多かったのもそのことを物語っていると思われる。
また、同じ時期に行われた毎日新聞の「PTA世論調査」(昭和23年5月)でも、後援会の温存、民主化の不徹底、ボスの台頭などが問題視されるようになっている。
このことは、CIEなどの指導にもかかわらず、PTAが従来の学校への寄付集めに適した地域の有力者によるボス的支配の傾向が著しい団体として存することとなった。
という分析がありました。
結局「地方ボス」の多くが男性であった。そういう人でなければ寄付金集めなどが難しかったので、形だけでも親の会はそういう人を担ぐ形で存在していた。GHQの命により作られたPTAもこの親の会がそのまま継承された例が多く、それが「会長は男」というよくわからない伝統を残すことにつながる…
ということではないかと。