福岡の小学生殺人事件

 今日一番に驚いたニュースでした。
【福岡小1殺害】「子供殺し自分も死のうと思った」 育児に悩み将来悲観 逮捕の母親

 関係者によると、弘輝君は一つのことに集中できなかったり、突然走りだすなど予想できない行動を取ったりすることがあり、特別支援学級に在籍。登校をいやがることもあったといい、薫容疑者は自分の体調不良もあって悩んでいる様子だったという。
MSN産経ニュース 2008.9.22)

 まだはっきりした動機など伝わってこない段階ですが、引用部分の「自分の病気」と「弘輝君が特別支援学級に在籍していたこと」をめぼしい動機に考えるような意見がちらほら見られます。整合性のある供述ができなかった点で衝動的な犯行とは思うのですが、救いの無い事件と感じられて仕方ありません。


 この特別支援学級については、名称の改正がニュースにあがってきた2006年の1月に書いたことがあります(「特殊学級の改称」)。その後6月に「学校教育法等の一部を改正する法律(平成18年法律第80号)」が公布され、2007年の4月1日から施行されていたんですね。

特別支援学級(とくべつしえんがっきゅう)とは、小学校、中学校、高等学校および中等教育学校に、教育上特別な支援を必要とする児童および生徒のために置かれた学級のことである。

学校教育法(昭和22年法律第26号)の第75条に規定があり、これに基づいた学級のため、75条学級ともいうこともある。
Wikipedia特別支援学級

 Wikipediaの記述は訂正を必要とするようで、すでに学校教育法の75条に同項目はありません。

学校教育法 第八章(特別支援教育)
第七十二条  特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。


第八十一条  幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び中等教育学校においては、次項各号のいずれかに該当する幼児、児童及び生徒その他教育上特別の支援を必要とする幼児、児童及び生徒に対し、文部科学大臣の定めるところにより、障害による学習上又は生活上の困難を克服するための教育を行うものとする。


○2 小学校、中学校、高等学校及び中等教育学校には、次の各号のいずれかに該当する児童及び生徒のために、特別支援学級を置くことができる。
一  知的障害者
二  肢体不自由者
三  身体虚弱者
四  弱視
五  難聴者
六  その他障害のある者で、特別支援学級において教育を行うことが適当なもの


○3  前項に規定する学校においては、疾病により療養中の児童及び生徒に対して、特別支援学級を設け、又は教員を派遣して、教育を行うことができる。

 あるいは文部科学省が推進しようとする方向を先取りして、殺された弘輝君は知的障碍ではなくある種の発達障碍(もしくは学習障碍)であったのかとも考えられるかもしれません。要支援という点でそれはあり得たことではないかと思えます。

 文部科学省が定義する「特別支援教育の理念」には、次に挙げるような文言がある。


幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し…
幼稚園から高等学校にわたって行われるものである。
これまでの特殊教育の対象だけでなく、知的な遅れのない発達障害も含めて…
器質的な障害(視覚障害聴覚障害・運動機能障害・知的障害等)に加え、発達障害者支援法に定義されるLD、ADHD高機能自閉症等も対象とする。
障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるものであり…
障害のない子供たちにとっても意味を持つものである。


 つまり、特別支援教育とは、単に障害児をどう教えるか、どう学ばせるかではなく、障害をひとつの個性としてもった子、つまり「支援を必要としている子(children with special needs)」が、どう年齢とともに成長、発達していくか、そのすべてにわたり、本人の主体性を尊重しつつ、できる援助のかたちとは何か考えていこうとする取り組みである。

Wikipedia特別支援教育


 特別支援学級に在籍する6万人からの小学生(全児童の0.8%)のみならず、広義の学習障害4.5%、不注意と多動性−衝動性の問題2.5%、対人関係やこだわり等の問題0.8%、など知的発達に遅れはないものの学習面か行動面に著しい困難を示す児童生徒が全学童の6.3%に及ぶなどという調査*1などを見ても、この特別支援教育に関する偏見は早急に払拭しなければならない類の問題に思えます。
 もし子供を殺してしまったお母さんが強く「偏見」に左右されて悲観的になってしまっていたとしたら、これほど残念なことはないです。詳しくニュースがあがってくるまでは確定的なことは言えないと思いますが、とりあえず備忘もかねて書き留めておきます。

*1:平成14年「通常学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」文部科学省 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/018/toushin/030301i.htm

ブレヒトの「唐人お吉」

 昨日の夕方のNHK海外ネットワークで、第一特集として「ヨーロッパによみがえった お吉伝説」というのをやっていました*1
 「唐人お吉」(Wikipedia:斉藤きち)について書かれた山本有三による脚本作品『女人哀史』は戦前に海外で英文化されていました。それを入手した劇作家のブレヒトが自分でも戯曲を書いていたのですが、原稿は長らく未完のものしか無く、ある研究者が執念で完成稿を最近発見し、それがウィーンで上演されたというニュースを軸にしたものでした。


 以前下田を訪れた際、たまたま「お吉祭り」というイベントが開催されていて、これは毎年開かれるものだそうですが*2、特にその時は何周年記念とかいうタイミングで特に力を入れて盛り上げようとしていたはずです。人出も結構あって、私も唐人お吉記念館や小料理屋「安直楼」を見て回ったのを憶えています。
 唐人お吉こと斉藤きちさんは幕末から明治にかけての下田の芸者さんでした。開国を迫りに来日していたアメリカの初代総領事タウンゼント・ハリスの身の回りの世話をするよう「国のためだから」と因果を含められて仕えさせられた女性です。ただし彼女は周囲から「異人に通じた女」として偏見にさらされ、ハリス帰国後も献身は理解されずに孤立し、酒に溺れて51歳で自死を選んだという悲劇がありました。
 これをベルトルト・ブレヒトがドイツ語で戯曲化していたのは知られたことでしたが*3、未完成稿しか残されていませんでした。この完成稿がきっとあるはずだと考えたブレヒト研究者のノイロイター氏が、ブレヒトにこの作品を紹介したフィンランドの作家ヘッラヴォリヨキ氏の遺族に問い合わせ、その別荘で完成稿を発見し、今回の上演に至ったのです。


 「英雄(的行為をした人)に対する周囲の無理解、忌避という悲劇」についてノイロイター氏は言及し、それに触発されてブレヒトは戯曲を書いたのだろうと言っておられましたが、流されたプレミア公演の断片を拝見する限り、一人の強くてもろい女性についてのドラマという普遍的な主題がブレヒトを動かしたのではないかという感じもします。
 主演は若手のウィーンで人気の女優だということでしたが、着物を着て髪を結っていて(若干妙な髪型でしたが)脇の役者さんでも帯刀している人がいて、これは確かに日本を舞台にした演劇でした。ただ、偏見で彼女を突き放す周囲の人たちが終わりの方は洋装になっていて、予算的な都合なのでしょうが演劇だったらありの演出かなとも。


 さすがにブレヒトあたりが手がけると「パクった」などという話にはならず、「インスパイアされた」「ヨーロッパ版として作られた」という話になるものなのだろうなと密かに思いました(笑)


 小説版にせよ戯曲版にせよ(あるいは映画版も)未見ではありますが、きっと興味深いものだろうと想像されます。戦前に日本で流行った時期は「お国のために殉じた」という意匠が物語につけられていたと思いますが、結局のところ「周囲の偏見による個人の悲劇」という軸は揺るぎなくあったでしょうし、さらには「一人の女性の物語」として今なお訴えかけるものは存在しているはずです。上演が評判になって、そのうち日本にも来たらいいのにと思います。


 お吉さんには大工の許嫁がいて、彼は派手好きで「帯刀」が夢の若者だったそうですが、きっと彼女は「国のため」とかいうより「彼のため」に献身したのだと感じます。彼女はその取引に殉じてやるべきことを当たり前にやったのだったでしょう。立派な女性だったのです。
 ただ彼女の孤立に際し、この大工の若者も最後まで一緒にいてやることはできなかった…というのは、まさにありがちな悲劇であるとも思えますね。それが「ありがち」であるだけ、いまだに普遍性を持った物語なのでしょう。

*1:ちなみに第二特集は「母親の命を救え〜チャドの取り組み」で、途上国での出産時産婦死亡率を下げようという試みでした。

*2:毎年3月27日

*3:たとえば、丸本隆「『女人哀詞』から『下田のユーディット』へ:ブレヒトにおける唐人お吉伝説について」、茨城大学人文学部紀要、人文学科論集Vol.15(19820300) pp. 21-49