ブレヒトの「唐人お吉」

 昨日の夕方のNHK海外ネットワークで、第一特集として「ヨーロッパによみがえった お吉伝説」というのをやっていました*1
 「唐人お吉」(Wikipedia:斉藤きち)について書かれた山本有三による脚本作品『女人哀史』は戦前に海外で英文化されていました。それを入手した劇作家のブレヒトが自分でも戯曲を書いていたのですが、原稿は長らく未完のものしか無く、ある研究者が執念で完成稿を最近発見し、それがウィーンで上演されたというニュースを軸にしたものでした。


 以前下田を訪れた際、たまたま「お吉祭り」というイベントが開催されていて、これは毎年開かれるものだそうですが*2、特にその時は何周年記念とかいうタイミングで特に力を入れて盛り上げようとしていたはずです。人出も結構あって、私も唐人お吉記念館や小料理屋「安直楼」を見て回ったのを憶えています。
 唐人お吉こと斉藤きちさんは幕末から明治にかけての下田の芸者さんでした。開国を迫りに来日していたアメリカの初代総領事タウンゼント・ハリスの身の回りの世話をするよう「国のためだから」と因果を含められて仕えさせられた女性です。ただし彼女は周囲から「異人に通じた女」として偏見にさらされ、ハリス帰国後も献身は理解されずに孤立し、酒に溺れて51歳で自死を選んだという悲劇がありました。
 これをベルトルト・ブレヒトがドイツ語で戯曲化していたのは知られたことでしたが*3、未完成稿しか残されていませんでした。この完成稿がきっとあるはずだと考えたブレヒト研究者のノイロイター氏が、ブレヒトにこの作品を紹介したフィンランドの作家ヘッラヴォリヨキ氏の遺族に問い合わせ、その別荘で完成稿を発見し、今回の上演に至ったのです。


 「英雄(的行為をした人)に対する周囲の無理解、忌避という悲劇」についてノイロイター氏は言及し、それに触発されてブレヒトは戯曲を書いたのだろうと言っておられましたが、流されたプレミア公演の断片を拝見する限り、一人の強くてもろい女性についてのドラマという普遍的な主題がブレヒトを動かしたのではないかという感じもします。
 主演は若手のウィーンで人気の女優だということでしたが、着物を着て髪を結っていて(若干妙な髪型でしたが)脇の役者さんでも帯刀している人がいて、これは確かに日本を舞台にした演劇でした。ただ、偏見で彼女を突き放す周囲の人たちが終わりの方は洋装になっていて、予算的な都合なのでしょうが演劇だったらありの演出かなとも。


 さすがにブレヒトあたりが手がけると「パクった」などという話にはならず、「インスパイアされた」「ヨーロッパ版として作られた」という話になるものなのだろうなと密かに思いました(笑)


 小説版にせよ戯曲版にせよ(あるいは映画版も)未見ではありますが、きっと興味深いものだろうと想像されます。戦前に日本で流行った時期は「お国のために殉じた」という意匠が物語につけられていたと思いますが、結局のところ「周囲の偏見による個人の悲劇」という軸は揺るぎなくあったでしょうし、さらには「一人の女性の物語」として今なお訴えかけるものは存在しているはずです。上演が評判になって、そのうち日本にも来たらいいのにと思います。


 お吉さんには大工の許嫁がいて、彼は派手好きで「帯刀」が夢の若者だったそうですが、きっと彼女は「国のため」とかいうより「彼のため」に献身したのだと感じます。彼女はその取引に殉じてやるべきことを当たり前にやったのだったでしょう。立派な女性だったのです。
 ただ彼女の孤立に際し、この大工の若者も最後まで一緒にいてやることはできなかった…というのは、まさにありがちな悲劇であるとも思えますね。それが「ありがち」であるだけ、いまだに普遍性を持った物語なのでしょう。

*1:ちなみに第二特集は「母親の命を救え〜チャドの取り組み」で、途上国での出産時産婦死亡率を下げようという試みでした。

*2:毎年3月27日

*3:たとえば、丸本隆「『女人哀詞』から『下田のユーディット』へ:ブレヒトにおける唐人お吉伝説について」、茨城大学人文学部紀要、人文学科論集Vol.15(19820300) pp. 21-49