五四運動の日

 時事に関しては語るものに乏しいのですが、今日の一日だけはじっと中国を見ていました。五四運動*1のことで反日暴動がまた起るかもしれないと危惧したからです。
 現時点では騒乱は起きていないようです。とりあえず力を抜いていいかと思いました。上海だけで数万の日本人が暮らしているとのことで、事が起きれば皆無事とも限りません。リスクを背負って出ている方ならまだしも、妻や子、中国に対して何の悪意もない人たちまで危害が及んだら本当に取り返しがつきません。中国に対する怒りがちょっと戻れないくらいまで湧くかもしれませんでした。これで暫時気を落ち着けることができます。


 憎しみが向けられて、それを流すだけ私は修行ができておりません。その憎しみに理不尽さを感じればなおさらです。実は反日暴動以来、どこか心安らかでない自分がありました。結構小さい時以来、中国に親しみと(憧れも)勝手に感じていただけに、怒りは複雑でした。しばらくは中国に行くこともないでしょう。残念ですが…
(もしかしたらもう行かないかもしれません)


 今回の件に絡んで、マスコミや政府を含めてみななぜおとなしいのか、オトナなのかなあと思いました。なぜ怒りがないのか。もしくはなぜ深い悲しみがないのか。
 日本ということ、日本人ということ、日本人に関わるということだけで攻撃を受けるということは、決して他人事ではないと私などには思えてしまいます。そんなに軽いことなのでしょうか?


 とりたててカウンターで通州事件を持ち出すこともありません。私にとってはそれもまた歴史上のことです。でも、今「日本」が攻撃されているのならば、当然感情の動きがあってしかるべきと思います。
 ここで一旦気を抜くことができてよかったのかもしれませんが、中国政府が躍起になって手を打って押さえ込んだだけだったら、結局は同じことの蒸し返しがくるだけとも考えます。
 このことについては、考えをまとめる必要を感じています…

*1:1919年5月4日の北京の学生デモを発端として中国全土に波及した運動。パリ講和会議で日本の対華二十一箇条要求が承認されたことに反対し、政府にベルサイユ条約の調印拒否を約束させた。