酒と神様の話

 日本では、酒は「御神酒(おみき)」で神様の飲み物でした。
 私は「さけ」の語源として(神)饌「け」に美称の「さ」がついたものだという説が一番もっともらしいと思っています。
 (ということは前にも書きましたが、少しその続きを…)


 はるか昔の神道の祭祀では、まず一定の聖域(あるいは臨時のマツリノニハ)を画定し、そこに木を招代(おぎしろ)として立てて神を招き降ろしました。この木は神籬(ひもろぎ)と呼ばれ、そこに鏡などの祭器がかけられたのです。祭りは夜行われ、神が迎えられるとまず土器に盛った神饌が捧げられ、続いて玉・宝器・衣類が神宝幣帛として供えられました。次に神に祝詞(のりと)が捧げられ、何ごとか訴え事を申します。そして祭りの最後には神人共食の直会(なおらひ)があり、祭りが終わると使った祭器や食器を割って地面に埋めたということです。
 この直会ではお互いに無理に酒を飲ませ合い、泥酔するまで続けたのではなかったかという説もあります。
 神の飲み残しを飲んで意識が飛ぶまで酔った状態、これが神人合一の状態と捉えられたのではないかと私も思います。日本語で「今日はついている」といいう言い方がありますが、あの「つき」という語はもともと「憑依posession」の「憑き」でした。「もの」がとりついて通常とは異なった状態になっていることを言表しているのです。
 酒はある意味意図的に「つかせる」ための手段と考えられていたのでしょう。


 お酒に非常に寛容な神道の伝統に対して、イスラムでは今なお禁酒がかなり硬い戒律として生きています。もちろん例外はあるようなのですが、頑なにみえるほどそれは続けられています。
 根拠は非常に単純です。コーランの教えだからです。

 これ、汝ら、信徒の者よ、酒と賭矢と偶像神と占矢とはいずれも厭うべきこと、シャイターン(サタン)の業。心して避けよ。さすれば汝ら運がよくなろう。シャイターンの狙いは酒や賭矢などで汝らの間に敵意と憎悪を煽り立て、アッラーを忘れさせ、礼拝を怠るようにしむけるところにある。汝らきっぱりとやめられぬか。アッラーのお言葉に従い、使徒マホメット)の言うことをきけ。よくよく警戒せよ。
 (『コーラン(上)』井筒俊彦訳、食卓−メディナ啓示92-93)


 ところがイスラム文学と呼ばれるジャンルでは、お酒のことをうたった名詩と呼ばれるものが存在しています。しかも文句を言われていないみたいで、どうなっているのでしょうか?
 11世紀に生きたオマル・ハイヤーム、彼は天文学者・気象学者としても知られているそうですが、彼のルバイヤート(四行詩)は名作の誉れ高く、岩波文庫にも入っています。そこに載っているいくつかをご紹介します。

 なんでけがれがあるこの酒甕に?
 杯にうつしてのんで、おれにものこせ
 さあ若人よ この旅路のはてで
 われわれが酒甕とならないうちに。

 感じは出ていますが、原語で味わわないから名作と思えるほどではないかも…。そしてちょっとした偶然なのですが、万葉集大伴旅人の歌に、オマルと同様の酒のいれものモチーフの歌があります。方向性は異なるのですが…

 大宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首(のうち)

 なかなかに 人とあらずは酒壺に 成りにてしかも 酒に染みなむ

 こちらはむしろ酒壺になりたいという、酒飲みの言葉風です。


ルバイヤートでは他にも

 墓の中から酒の香が立ち上るほど 
 そして墓場へやって来る酒のみがあっても
 その香に酔い痴れて倒れるほど
 ああ、そんなにも酒をのみたいもの

 こうなるとやはりただの酒飲みに思えてしまうかもしれませんね。

 天国にはそんな美しい天女がいるのか?
 酒の泉や蜜の池があふれているというのか?
 この世の恋と美酒を選んだわれらに
 天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?

 これは諧謔・皮肉が効いてて結構よいような感じです。
 この詩の内容にしても、酒をうたうところにしても、単純にイスラムを考えても捉えきれない深い歴史がやはり見え隠れするようです。