疲れました…

 朝からひまを見つけては「はてな」の質問

【日本語の使い分けについて(2)】つぎの単語について、平易な使い分けの例と、誰にでもよくわかる定義をお示しください。
・真実 ・現実 ・事実 ・表象 ・具象

※『広辞苑 第五版』『LONGMAN Advanced American Dictionary』『goo 国語・新語辞典』『法律学小辞典』を一応確認していますので、辞書や用語集の単なる抜粋や要約はご遠慮ください。
※無関係なURLの回答、匿名掲示板の投稿のみに依拠する回答、想像、根拠なきあなた自身のご感想やご意見の回答はおことわりします。

 にかかっていましたので、今日書くつもりだった日記の内容はまだ書けておりません。夕方以降にでもアップできればと思っております。ちょっと自信もないのですが、書いてみたいと思わせる感じの質問でしたので…

こう答えてみました

 客観というものが自分の外に存在するという立場ならば、それを指し示すのに一番適当なのが「事実」です。
事実(fact)は主観(視点・立場)によらず、見えるとか見えないとかはあるかもしれませんが、たとえ誰にも知られなくても「客観的に」そこにあります。


例:「それでも地球は回っている」というのは事実を表明しています。他者の主観によらず、客観的にそれがあるのだという確信の表明だからです。


 「現実」という言い方には、何かを見る(直面する)ものの主観が含まれています。「誰それにとっての現実」という使われ方・捉え方が本当は必要なのだと思います。
現実(reality)は客観だけではありませんので、理想などという主観的な言葉と並べても違和感がありませんし、感覚器官に信号などを送って「仮想現実」は作り出すことができます。ここまでいくと、客観の存在を前提にしなくても現実が認識されている状態と言えるでしょう。「仮想事実」という語は存在できません。


例:「専業主婦には働く女性の現実が見えていない」などというのは、立場の違いによって見える世界が違うということを言い表す言葉でしょう。各々の「主観的な捉え方の違い」以上のものではない気もしますが…


 真実は、事実と現実のどちらとも重なる用法があると思いますが、それぞれと違う旨が述べられる場合もあります。真実と事実は違うという時は、真実に「客観性」以上の価値判断、人々が肯定せざるを得ないもの、真理とでもいうべき意味付けが密かになされているのでは?真実と現実が違うという時は、真実が主観を排した冷厳な客観として捉えられているときだと思われます。
真実(truth)を現実の対義として使う場合には、それは事実と重なってきます。また真実を事実の対義として使う場合には、それは価値判断を含むという意味で現実に近い用法であるとも言え、さらに現実を超えて万人に通用する(宗教的な意味に近い)真理を前提にする場合すらあるのです。


例1:「真偽判断をしなければならない」という用法での真実は、単純に客観的な真(事実)と重なるでしょう。


例2:「平和を求めるならば、非暴力による抵抗でなければならないという真実に気づく」などという言い方では、何か真理のようなものが前提にされていると思います。


 具象とは、形のないものが形を取って具体的に現れている様を表します。本来的にはこれは転倒したものの言い方です。我々が目にするのは、まず何か客観的・具体的存在として現れているもののはずです。その「もの・客観」に対して、その由来・背景を考え、ある意味主観的に「形のない背景の何か」が形をとってこういうものになったのだと考えるのですから…。具象それ自体は客観的なものしか指せません。その意味で観念の対義語として使われる場合もあります。
具象という言い方が指し示すのは(何らかの背景に関する主観的な意味付けが暗黙のうちに前提されている)具体的な事物なのです。

 これに対して表象(representation)は、背後にある「何ものか」が心の中に現れるさまを示しています。その意味では主観的・観念的なものを指す語です。哲学の「表象主義」では、心の扱う直接的な対象を表象(や観念・現象)と捉え、外的実体・もの自体には直接届き得ない心が、それらの写像として表象を用いていると考えます。
表象は、背後にある何ものかが心の中に表現されているという状態を言いますので、それ自体は観念的なものであり、主観の中にだけあるものです。


例:「平和という言葉で表象されるものを具象化して平和の像が造られた」ここでは表象が頭の中のもの、具象化されたものは外在する像という関係がおわかりになるかと思います。


※私は自分の用法として上記をまとめました。これを「客観的」に証明付ける(もしくは権威付ける)urlを探すことはちょっと…。その意味では「根拠なきあなた自身のご感想やご意見」ではないと言い切ることはできません。どれだけ説得力を感じていただけるかですね。