オリエンタリズム 補遺

 ようやく少し体調や気力も回復して参りましたので、ちょっと先日の補遺を書かせていただきます。
 ポストコロニアリズムはもちろん植民地主義の時代を過ぎた世界の現状を考察するものですが、ほとんどの論考のあり方がコロニアルの支配−被支配の関係が(隠蔽され、形を変えつつ)今なお継続していると捉えるものだったと思います。そしてその認識により「本質主義」的な先進国のものの考え方というものが批判され、あり得べき理想の状況が自文化中心主義を脱した「価値の転換」によってもたらされると考えられていたと思うのです。
 隠蔽された支配の継続とは、一方向的な文化接触によって西洋的価値観の押し付けがなされ、また同時に西洋中心の世界経済に組み込まれた「旧植民地」が、自立的な経済発展の方向を見出せないままいつまでも搾取されるシステムが残存しているという認識です。
 また本質主義的な先進国の考え方とは、「我ら」と「彼ら」の文化に(誤った)本質的な差異を捉えてしまうのは「自分たちの色眼鏡」でしか異文化を見ることができない西洋的な自文化中心主義的考え方のせいだとする認識が捉えるものです。
 そしてこれらを乗り越える契機は「我ら」−「彼ら」という二分法的捉え方を「脱構築*1し、一方的な文化接触である「文化帝国主義」を批判して廃棄し、解体することによって見出せると考えるのです。


 確かにここに一面の真理をみることはできましょう。しかしながらこれはあくまで「西洋の側へ向けられた」批判であり、そちらへの変革の促しであって、非西洋の側に対しては無反省な態度を称揚しかねない片務的なものだったのではないかと思うのです。(もしかしたらそれもまたポストコロニアル状況のせい、非西洋の側の言葉が失われてしまったから、とされるのかもしれませんが…)


 歴史的に西洋に収奪された国々が、そこに被害者状況があったからといって、すべて無垢であり正義の側にあるとするのは誤った前提です。中国を見てもわかるように、西洋に侵略され収奪される側になるまでは、実はかの国は侵略し収奪する側の国であったのです。
 文化接触における優劣は常にあったのです。程度の軽重こそあれ、全く同等な相互影響などむしろ不自然だったと思われます。一つの歴史状況のみを以って片方の側を「悪」と決め付けるかのように語るのには疑問があります。
 また、自文化中心主義もなにも西洋の専売特許というわけではありません。中華思想や神国思想、同じような類型は歴史上いくらでも見つかることでしょう。ですから、ポストコロニアリズムは強者の側、西洋や日本を含む国々では反省や視点の変更を促すなどの有効な意味を持ちうるでしょうが、自らを被害者であり弱者と任ずるような側に対しては、むしろ自らの過去を都合よく隠してしまう方向に働いてしまうかもしれないのです。なぜならそれは現時点での(いわゆる)強者に対してのみ吐かれた言葉だからです。
 

 というようなことを、もっと噛み砕いてわかりやすく書きたいなあと…。どうも思想系の言葉などを生のままに使っていいことにすると、書いてる私自身がおもしろくないですし。まだそこらで力不足ですが。そのうちできたら書きたい…と先送りいたしましょう。

*1:いまさらながら流行り言葉だったなと感慨も一入です