えびす  いくつかのかたち

 ヱビス信仰*1の形を機能的な分け方で見てみましょう。昨日の信仰の三つの側面ときちんと重なる訳ではありませんが、大体次の三つの類型が認められると思います。a) 漁業神的ヱビス b)農業神的ヱビス c)市場神的ヱビス。また、a・bには来訪神的要素が濃く、b・cには屋内神的要素が濃いと思われます。そして三者ともヱビスの福神性を持ってはいますが、特にcにおいて機能分化した福神性が強いと考えられます。

a)漁業神的ヱビス

 豊漁祈願の漁業神としてのヱビスは現在でも各地に存在します。その御神体は、伝承として漂着神としてのものが数多くあります。海上他界からの来訪神としてのそれらのヱビスは、ほとんどが「石」の形態を持ちます。また、水死体(ドザエモン)をヱビス(サン・サマ)と呼ぶ地方がかなり多いのも、その異界からの訪問という視点で見なければ、説明がつきにくいのではないでしょうか。
 対馬の勝浦漁港のように、海に関係するところで黒不浄を徹底的に忌む場所でも、水死体=ヱビスは必ずすくい上げて帰らなければならないものとされているのです。つまりヱビスの浄不浄は、此岸的な世界の価値でははかり得ないものとしてあるのでしょう。(民俗学の研究の中には、ヱビスを鯨・イルカ・鮫等と直接結び付けて考えるものもあります。地方によっては確かにそれらをヱビスと呼んだところもあるのですが、それらが魚群を教えてくれるという機能的な見方をするよりも、それらのものの死体が、ちょうど人の水死体と同じように考えられた〜同じ性格を持つものとしてあったと考えた方が良いと私は考えます)

b)農業神的ヱビス

 東日本を中心に、ヱビスが内地あるいは山間部などで信仰されている例が少なからずあります。もちろんこれは西日本より後発のものと考えられ、夷舁(エビスカキ)・夷まわしのような宗教芸能者達が御札を配って歩いたゆえのものでしょうから、信仰の起源的面では語れませんが、決して無視できないヱビス信仰の側面だと思います。
 ヱビスはここでは「田の神」的扱いをうけます。また、主に中世以降の事例ですが、「山の神」と同一視される傾向も見られるとのこと。そしてこうした「田の神・山の神」の他聞にもれず、ヱビスもまた春秋に山と里、田と家を行き来する来訪神として信じられています。当然これには山中他界の観念も結び付けられているでしょう。
 農村のヱビスがらみの祭では、春秋二回のものが多くあります。その祭の際に、ヱビスに供える膳の食器の配置や箸の置き方が、日常のそれと正反対であるのはかなり注目すべきことで、ヱビスの表す周縁性〜価値の逆転の可能性を象徴するものであると思われます。(この農村のヱビス信仰を、あくまで海−水の関連性から捉えて系統づけようとして、このヱビスを水の神とし、そこから田の神へと持っていこうとする研究もありますが、私はそう考えるより、ここでも(他界からの)来訪神として遇されているヱビスの姿があり、その宗教的意味というものが、直接海のヱビスと呼応すると考えたいです)

c)市場神的ヱビス

 漁業神的ヱビスは豊漁を、農業神的ヱビスは豊作を祈願するものですが、市場神的ヱビスは「富」を祈るものであり、現在の福神としてのヱビス信仰に最も近いものであると言えるでしょう。農村でのヱビス信仰においてすでに屋内神のように扱われたヱビスは、ここにおいてほぼ今日的なその信仰の形態を整えていると考えられます。その分ヱビス信仰の原像からは隔たってきてはいるでしょうが、その信仰の中心的意義を失ってはいないでしょう。
 機能神として見れば、やはりヱビスは初めから福神であり、また江戸期に四民の最下層として位置づけられた商人が選ぶ神として、周縁の神−ヱビスは最もふさわしいものであったとも考えられます。
 特に呉服関係の商人達の間で、十月二十日を誓文払いの日(一種のバーゲンセール)としていたのは、農村の季節ごとの来訪神的ヱビスのあり方と考え合わせると、同質のものを思わせる事例だと思います。

*1:ここらの話は、十数年前に書いたものを元にしています。参考文献ではっきりしているのは、宮本袈裟雄『民衆宗教史叢書 福神信仰』ですが、他に4、5冊読んで書いていたはずです。