テロと想像力

 殺伐とした話です。今朝のニュースを見ながらこう思いました。


 ロンドンの爆破テロの被害者は、現在判明しているだけで死者49名に上ると聞きます。犯人が爆発物を用いなかったとしたらどうだったか、化学物質や生物兵器銃火器さえ用いなかったとしたら…と考えました。
 たとえばアーミーナイフでも包丁でもいいのですが、それしか武器がないとき、それでも彼らは50人ほど殺せて700人ほど怪我をさせることができたでしょうか?


 朝の出勤ラッシュ時、地下鉄で、バスで刃物を用いて一人一人刺していく
 テロリストは10名ぐらいいたとして、それでも50人殺すことはできたでしょうか?


 ブッシュナイフや鉈のようなものでもいいかもしれません。それで一人一人の頭に叩きつける。700人以上傷つけるには20名のテロリストでも一人あたり35回は刃物を振り回さなければなりません。


 線の細い女性も、よたよた歩く老人も、もしかしたら子供もいるかもしれません。そうした逃げ惑う人々の背後から斬りつけ、突き刺し、反撃するものは容赦なく叩き斬る。30名のテロリストでも750人以上を殺傷するのは難しいのではないでしょうか。これでも一人あたま25人やらなければなりません。


 思わずナイフを掴み取ろうとする犠牲者もいるかもしれません。しかしナイフの切れ味が鋭ければ、指がぱらぱら切れ落ちてしまうでしょう。50人は確実にとどめをささなければいけないとすれば、反撃できないようにしてから確実に急所に刃物を入れなければなりません。50人のテロリストが一人一殺を目指したとして、それは可能だったでしょうか。そして一人を殺し、あと14人傷つけるのです。


 テロリストは、目の前で血まみれになり苦悶の表情を見せる人を、女性を、老人を、子供を、情け容赦なく50人突き刺して殺す大義を持っていたのでしょうか?いきなり通り魔のように700人を怪我させる「正義」があったのでしょうか?


 たとえ彼らが、米軍にイランもそうやられたアフガニスタンもそうされた云々という言い訳を持っていたとしても、その言い訳だけで目の前の民間人を斬って、刺して、叩き殺して血達磨にすることができたでしょうか?


 爆発物で無差別に人を殺傷するのも、刃物で無差別に人を殺傷するのも、やられる方には何の違いもありません。ただあるのは、想像力を働かせないようにできること、テロリストの側の自己欺瞞が楽になることぐらいでしょう。
 もし克明に自分の殺人行為に想像力を働かせたとして、それでもなお無関係の人、たまたまその場に居合わせただけの人を何人も何人も殺すことを正当化できる「大義」など、私には「想像」もできません。