お酒の話

 第三のビールと呼ばれる酒税が安いビール風味のお酒が人気だそうですが、私は新しもの好きですので大方の種類を1本ずつ試してみました。確かに暑い夏に喉を潤すものとしては悪くないでしょう。さっぱり(というか軽い)風味で、ビールかな?と首を傾げたくなるものもありましたが、そういうものと割り切って楽しめばいいのでしょう(何より安いですし)。
 個人的にはビールの代替品にはできませんが、お酒のバリエーションの一つとしてはありだと思いました。


 新しい商品の開発はビール(風)のお酒にとどまらず、いろいろな新レシピのカクテル、酎ハイの類、紅茶のお酒からワインを用いた新機軸のお酒に至るまでお酒の棚は目にも鮮やかなラベルが並んでいます。
 重厚なワインセラーの雰囲気や新酒の酒蔵の雰囲気などに比べればもちろんまだまだ文化としての「熟成」が必要だと感じますが、これはこれでポップな感じが悪くないと思います。焼酎の出荷量も日本酒を超えたそうで、これからいろいろお酒をめぐる状況も変わってくるでしょう。古いものの良さもなくならずにいて欲しいとは思います…。


 さてワインを使ったお酒という新製品もこ洒落た感じではありましたが、やはりこれはワインに替わるものとは思えません。今のワインは相当年季が入っていて、そうそう目先を変えるやり方では替わり得るものは出ないでしょう(その意味でももっと私たちは日本酒に目を向けていいと考えるのですが)。
 ワインと言えば、古代ギリシャではワインは水で割って飲まれていました。ワインの発酵は単純なものですので、当時のワインのアルコール度数も現在とそう違っていないでしょうから10〜15%といったところだったでしょう(ただし、雑味や酸味は強かったと思われます。そういうこともあって水で割ったのかとも思います)。それを割ると3〜6%位でしょうから、ちょうど今のビールといった具合の軽いお酒の感覚だったのではないかと想像されます。スパルタ人は、酒を割らないままに飲んでとうとう気がふれたとヘロドトスが書いております。


 古代ギリシアの酒の神ディオニュソス(別名バッカス)はとても有名ですが、ギリシアでも祭りの時には酔っ払うまでお酒を飲んでいました。プラトン(前427〜347)の『法律』の第六巻では、次のような記述があります。

 酔うほどに飲むのは不適切です。ただ一つの例外は、酒を授けて下さった神様のお祭りの時だけです。酔うのは危ないことです。例えば結婚する時ですが、新婦も新郎もこの時こそ正気でいなくてはいけない。二人にとって生活の小さからぬ変化なのですから。だがそれだけではありません。生まれる子は、どんな場合でも正気の両親から生まれるのでなければなりません。


 2〜3世紀の修辞家・随筆家アテナイオスも、その著書『食卓の賢人たち(食卓談義)(Deipnosophistae)』の中でギリシアの当時の飲酒について多くの記述を残しています。

 これもまた、しきたりとして定まったスパルタの習慣なり、すなわち酒はつがれた同じ酒盃(kylix)で飲むこと、名前を呼んで乾杯を回すこともせず、また一座の右回りにぐるりと〔酒盃を〕回すこともしないのは。

 この記述から、逆にスパルタ以外のところでは同じ酒杯で円座になって酒を飲んでいたのかもしれないと想像できますね。

  徳利(angos)の発明はアジア生まれのリュディ人の手になる。
  また、乾杯を右に差し出し、
  乾杯を捧げんとする相手のために、名を呼んで乾杯することも。
  かくて、かかる飲酒によって口舌をゆるめ、恥ずかしいおしゃべりに堕し、
  身をものろのろとさせる。眼にはぼんやり霞がかかり、
  失念が記憶を精神から消失させ、
  理性は踏み迷う。戦争奴隷たちも不埒な態度をとる。
  しかるに、ラケダイモン人たちの壮丁の飲みかたは、
  みなの心を快い希望と、友愛と、
  そして舌を程よい笑いとに導くだけの量。
  かかる飲酒は身にも有益、
  思考にも所得にも〔有益〕。さらには、アプロディテの業にも美しく、
  労苦の避難所たる眠りにもかなっている、
  また、神々の中でも、死すべき者たちにとって最も歓ばしき「健康」にも、
  「敬神」の隣人たる「慎み」に対したてまつっても〔かなっている〕。

 お酒讃歌に聞こえることからも、アテナイオスが酒好きだったことは間違いのないことと思います。


 『魏志倭人伝』中に見られる日本人の先祖は、結構お酒好きだったようで

 人性酒を嗜む 

 と描写されています。また、

 死するや停葬十余日。時に当たりて肉を食わず。喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲食す。

 という記述から、現在のお通夜の原形らしき情景が浮かんできます。


 お酒の原料は糖質のブドウ糖や黒糖で、その糖からアルコールへの橋渡しをするものが酵母です。酵母はこれらの糖をもとにエチルアルコール二酸化炭素を作り出します。酵母自身の繁殖や増殖のエネルギーとして糖分が使われ、副産物としてアルコールが産出されるのです。そして糖分があるところへたまたま風に乗って酵母菌(野生酵母)がやってくるとき、偶然の酒造りが起きるのです。


 お酒の原料に果物などが使われるとき(ワインなど)はいいのですが、穀物類が原料とされるときはなんらかの方法で穀物から糖分が産み出されなければいけません。口で噛むというのもその方法の一つになります。唾液中の酵素がデンプンに作用(分解)して糖を生み出すというのは高校の生物で確か実験したような…。


 東南アジアから東アジアにかけての酒造りの特徴は麹(こうじ)に特徴があるということだそうです。麹は穀物のデンプンを、酵母がアルコールをつくる原料になるブドウ糖に変えます。その麹ですが、日本だけが麹菌(アスペリギルス・オリゼー)の繁殖した「麹」を使用し、中国は同じ麹でも「クモノスカビ」の繁殖したものを使っているとのこと。(ヨーロッパでは麹の役を「芽」(麦芽など)が担うか、はじめから「ブドウ糖」を使用するということです)


 岩田一平『縄文人は飲んべえだった―ハイテクで探る古代の日本』朝日新聞、では、縄文人が飲んでいたのは果実から造った酒か雑穀を口で噛んで醸した酒ではないかということが書かれていましたが、そういう偶然が起源の酒造りから、今に続く酒造りの方法が見出された(輸入された?)のはいつ頃のことだったでしょう…。
 そんなことを考えながら、今晩は日本酒をいただくことに決めました。ねっとり甘くて芳醇な「ふなぐち菊水」を。あれはデザートワインが飲める方なら絶対気に入られる日本酒だと思います…。