遊びと美術

 「百夜がよひの満願に…」というわけで、ちょっと格調高めに(笑)

遊び

 遊びの概念は、それに相応するさまざまな言語の内包する意味に差はあっても、人類に共通のものだと思われます。生真面目な近代精神は、遊びを不真面目だとか幼稚なものだとかネガティブにみなそうとしましたが、決して遊びがその力を失うことはありませんでした。遊びは人間にとって必要不可欠なものと考えられるのです。


 宗教と遊びのかかわりをみてみると、いくつかの形而上学的な宇宙論に遊びの概念がみられたり、宗教儀礼の文脈において遊びが有効に機能すると考えられる場面があります。
 ヒンドゥーの教義の中では、この現象界を動かす原動力であるマーヤー(maya)が副次的な現実、幻にすぎず、宇宙の究極的原理であるブラフマンbrahman)の「冗談」あるいは「遊び」(lila)であると言われています。また(特に西洋の)「反転の儀礼」という術語が示す祝祭の場における遊び、男性の女装や女性の男装、主人が使用人になり最も貧困なものが王に擬される「乱痴気騒ぎ」では、一時的にもステータス、職業、年齢差が無効になり、高きが低められ、周縁が中心に置かれます。これはアフリカの神話に登場する文化英雄、トリックスターの役割を想起させるものでもあります。騙す者であり騙される者、愚弄する者であり愚かな者、作る者であり作られる者でもあるトリックスターは、神話や物語の筋立てを常にひっくり返し、それによって世界に秩序と無秩序、混乱と知恵を導入します。彼は人間の生の根源的な両義性を明らかにする者なのです。


 そして遊びの位相は日常・世俗的生活からの離脱であり、実は聖なるものの位相と通底しています。遊びは、生の横溢と規則、恍惚と慎み、熱狂的錯乱と綿密な正確さ等の相反する働きを同時に要求しますが、これはまさに聖なるものの位相の特徴でもあるのです。こうした考察から、「聖・俗・遊」の三者による円環構造が論じられています。人間はこの三つの位相を相互に移行し、それにより全的な生をおくることが可能になるのだとされます。またこれを社会構造の中の階層になぞらえた時、王宮の中の道化師の意味や、天皇と人外の者*1、河原者と呼ばれた人々や京童との関係を読み解くのに重要な示唆ともなるのです。

美術

 約一万五千年前の後期旧石器時代、ヨーロッパの石灰岩洞窟に岩面画が残されました。ラスコーやアルタミラに代表されるこれら遺跡画は、人類史上最初の美術だったと言われています。赤、黒、黄土の顔料によって描かれた傷ついたバイソン、眠るバイソン、雄牛、トナカイ、馬などのこれらスケッチは、宗教的儀式の一環として描かれたものとも推測されてもいます。


 美術という分野もまた、俗なる日常の枠組みを超えた存在でしょう。有用性という機能的なものさしだけではそれを語ることはできません。なぜ美術のようなものが人間にとって存在するのかはわからなくとも、人間はそれに打たれ、それを希求します。
 一定の宗教の教義・聖典に題材をとる美術的表現が宗教美術と呼ばれるものですが、それもまた宣教・布教のために作られたとする機能的な説明だけでは理解しきれないものだと思います。インスピレーション(inspiration)の語源が「(神の)息吹を吸う」であるように、それが美術である以上、必要性の次元だけでは語り尽くせないのです。


 プラトンにとって、美術の最高の形態は神聖な創造者デミウルゴスの創造にありました。デミウルゴスは「究極で不変の形態」の模倣(ミーメーシス)としてこの世界を造りました。そして美術作品を作る者は、降りてきた神の翼に触れ、デミウルゴスの行為をさらに模倣する者とされます。またプラトンは美しさの感受を究極の目的である「善なるもの」への入門段階であるとし、自然は聖なるものの模倣であり、美術はその模倣の模倣だと言います。プラトンの顰に習えば宗教芸術もまた、神あるいは宗教の創唱者の行為の「まねび」であり、部分的にも世界の再創造という意味を担う行為とも考えられるでしょう。
 私たちが美術を見、音楽を聴き、踊り、文学作品に感動する時、それは俗なる日常性からの離脱であり、ちょうど遊びが聖なるものに通底するように、すでに芸術によってわれわれは深い意味での宗教性に触れているのではないでしょうか。                    

参考文献
ヨハン・ホイジンガホモ・ルーデンス河出書房新社、1989
ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社、1971
プラトンパイドン―魂の不死について』岩波書店、1998

*1:道々の輩、公界の者