ある変人

 枕にすることさえ厚過ぎて難しい平凡社の『哲学辞典』(旧版)の「哲学者」の項目に、次のような記述がありました。

 …哲学者は一般人とはことなって、世間の雑事にとらわれず、その風貌も常人とはことなっている場合が多かったので各国共通のものとして、つぎの如き人物を哲学者とよぶことがある…

  • 怠け者(思案中の哲学者)
  • 屑拾い(ディオゲネスの如き哲学者)
  • 詐欺師(悪知慧を使う)


 ここに出てくるディオゲネス(シノペのディオゲネス、前403-323頃)は「幸福は自然的欲望をできるだけ簡単に満たすことにある」と考えて、物乞いのような生活をし、犬(kyon)と言われた人です。彼のように現実世界に対して冷笑的な態度をとった哲学者のグループはキュニコス学派犬儒学派)と呼ばれます。

 キュニコス学派の人びとは、本当の幸せは、物質的なぜいたくや政治権力や健康などの外面的なものとは関係ない、と主張した。本当の幸せとは、そんな偶然の、はかないものを頼みにしないことだ、というのだ。だからこそ、誰もが本当の幸せを手に入れることができるのだ、とね。
 (ヨースタイン・ゴルデルソフィーの世界』NHK出版、1995より)

 このキュニコス学派(the Cynics)から、シニック(cynic)・シニカル(cynical)・シニシズム(cynicism)(皮肉、冷笑的な、嘲笑的…)などの言葉が派生しています。
 何か斜に構えて世の中を見るというか、世に大事だとされているものに大して価値なんかないんだとうそぶくところが本当に「シニカル」ですね。これをこだわりを捨てた素晴らしい立場ととるか、世をすねた外れ者、変人ととるかは見る人次第です。しかし本人達は自分らがどう他人に受け取られるかについても頓着しないのです。


 ディオゲネスのエピソードで有名なのは、彼が家を持たず樽の中で暮らしているところに一人の若者(マケドニアアレクサンドロス、後の大王)がやってきて「何かお望みはありませんか?」と尋ねられ、「どいてください。日陰になるから」とあしらったというものがありますが、これは多分に伝説くさいところがありまして、そもそも木の樽が発明されたのは彼よりも後代のことだそうです。


 「はてなダイアリー ディオゲネスとは」にも彼の面白いエピソードがいくつか紹介されていますが、私の好きなのはこれです。

 ディオゲネスはあるとき、ゼノンという者のパラドクスを聞いた。あの「アキレスは亀に追いつけない」とかいう、運動の否定を述べたものだ。それを聞いて彼は、黙って壺の中から出て、そこらへんを歩いて見せた。弟子が感心して「さすが師匠。愚にもつかない論説に、黙して行動で論駁された!」樽哲学者は、弟子を殴りつけた。この阿呆!どんな論説であれ、相手が言葉できてるんやから、言葉でかえさんかい。それが論駁ってもんや。


 さて、上記サイトにも書かれていますが、ソクラテスデルフォイの神託を受けたように(参照:無知の知ディオゲネスもまた神託を受けました。それは、


 「ポリティコン・ノミスマ(国の中で広く通用してるもの=諸制度・習慣)を変えよ」


 というものでした。それを受けた彼はどうしたかというと、いきなり贋金を造りはじめます。そして結局は国外追放の憂き目をみることになったのです。上記サイトでは

 ソクラテスが知恵者を論破しつつ、つまり通用している知が「贋金」に他ならないといったのに対して、一方ディオゲネスは貨幣偽造を行ないそれを発行することで、あらゆる通貨が「偽物」に過ぎないことを示して見せているのである。

 ところでソクラテスは、その否定・相対化の末に、地上の流通に属さない「真なる知」へと人を導いて行くのであるが…ディオゲネスが行なったのは「真なる知(貨幣)」を造ることでなく「無知=贋金」を生み出し流通させることで、「唯一の貨幣」という価値を破産させることだった。

 とまとめてありますが、これも解釈次第ということではないかと思います。とにかく奇人というにふさわしい人だったのですから。


 で、なぜディオゲネスのことを書いて来たかと申しますと、「奇人」と呼ばれ、「犬」と呼ばれ、他人の目に頓着しない(ように見え)、国の制度を変えようとして大胆な行動にでた「あの人」を思い起こさせるからでして、果たして「あの人」がきちんと評価され憂き目をみずに済むかどうか、とても関心があるからなのでした…。