本当に大切なことを、私は文章で表現したりはしない。文章によっては伝えられないからだ。人に何か本当に大切なことを伝授しようと思うなら、繰り返して出会い、異論反論を戦わせる中で、いつしかこちらの熱が相手に伝わり、それが火となって相手の心の中に燃え上がるのを待たなければならない。それにも拘わらず、心に抱いている大切な問題をあえて文章に記すとすれば、それはせっぱつまったやむにやまれぬ事情が、私の分別を失わせたからだ。

 おとといからの一連の遣り取りについては、私が一人の真面目な方の熱気にあてられて未熟なところを晒したというところですが、書いたことには責任は持ちます。ただ相手があっての文章だということに思い至らない書き方をしたということだけは、申す言葉もありません。今日早暁に起きて、それについての反省や悔いがとても大きく感じられました。ただ同時に、自分の非力を認識するだけでなく、ほんの少しは自分で考えを進められたという思いもありますので、そういう若干のことを救いにまだちょっと日記は続けたいと思います。(acoyoさん、ほんとうにごめんなさい)