セリグマンの犬

 パブロフの犬よりも有名ではありませんが、セリグマンの犬と後に呼ばれる心理実験が1950年代に行われています。それは現在ではちょっと許されそうにない、犬を用いた実験です。
 一つの広いケージを想起してください。そこに一匹の犬がいます。犬には電極がつけられ、不快な電流が流されるようになっています。ケージの一つのコーナーにいる犬に電流が流されます。犬は暴れて逃げます。そのコーナーを出た時、電流は切られます。これで犬は移動すれば不快な状況から免れることを学びます。
 次にそのコーナーに犬を置き、そこを犬が乗り越えられないバリアで塞ぎます。そしてまた電流を流すのです。犬はそこから逃げようとしますが、バリアの所為で逃げることができません。不快な電流は流れ続け、犬は虐げられ続けます。そして一定時間が過ぎると電流は切られます。
 さらに何度も電流が流される実験が繰り返されます。犬はその度逃げようと試みますが挫折します。
 この試行を繰り返すうち、犬は逃げることを諦めてしまいます。


 諦めた犬は、電流が流されはじめるとじっと耐えるようになります。堪えていればいつか電流は流れなくなる。そう認識したらしい犬は、腹ばいになって不快な電流に堪え続けます。この段階では、その場所から逃れようとする一切の行動は見られません。


 次にそのコーナーを塞ぐバリアを撤去します。犬はその気になればコーナーから逃れることができ、そこを離れてしまえば電流は止まるのです。
 ところが、そうやって逃げる可能性を与えているのに、電流を流された犬はひたすら四肢をこわばらせながらそのコーナーで耐えます。その不快を避けるために、自発的な行動を起こそうとはしません。このセリグマンの犬の実験は、障害のために諦めさせられた(学ばされた)動物が、虐げられても逃げようとせず、そこでじっと耐えるという行動を取る(ことがある)という結果を教えてくれます。何とも救いのない話です…


 もちろん犬と人間では類似こそあれ種としての違いがありますので、これと同じ結果が常に得られるとは限りません。しかし大なり小なり、こうした条件付けが人間をも左右しそうだという推測が私たちに生れるはずです。それは、根っこのところで似たような条件付けの経験が私たちのどこかに記憶されているからかもしれません。


 「挫折体験」が私たちに見えないバリアを作らせ、傍から見ればすぐにも状況を変えられるとわかるような時に、その一歩を踏み出させないように自分自身を縛るということはあるのではないでしょうか?
 しかしまた同時にこの実験のシチュエーションを裏返して「成功体験」を重ねさせたならば、いかなる危機的状況でも自信を以ってそこから逃れる算段をする人間も作れそうな気もします。
 昨日の日記で触れた「教育」に私がもっともらしさを感じるのは、こうした条件付けの延長としてそれが考えられたからです。何事かあったときに初動の行為を変えてしまうだけの「挫折体験」(や「成功体験」)という話には、妙にリアリティーを感じてしまいます。


 しかしどこかで私は、その条件付けで留まるだけが人間ではないとも思っています。なにしろ人間というものは結構往生際が悪い(と自分を見ていて思うのです…)。ですから支援や自分の覚悟があれば、時に強固な条件付けさえ乗り越えることができるのではないかと感じます。これはもう一つの希望ですね。