日本に階級社会が?

 学歴を通じての社会階層の固定化傾向が強まり、ひいては「階級社会」「階層社会」などが日本に出来つつある、という危機感を表明される記事が目につくようになっています。高踏な議論にはなかなか噛めないのですが(笑)入り口のところで少し違和感も感じています。
 うまく考えをまとめようとしている最中ですがそれを形にして出す前に、一つだけ私がおやと思ったきっかけを書かせていただきます。それはどちらかで提示されていた「東京大学入学者の親の年収平均」というデータの扱い方でした。些細なことと言えばそうなのですが、その年収の平均が高い(あるいは高くなっている)ことに基づいて、中高一貫の私学あたりへ入っている(つまりお金をかけた)人でなければなかなか東大に合格できないとするようなものです。


 その年収平均については少々前のデータですがフジTVの番組紹介サイト

(東大の)合格者の約半数が有名私立進学校といわれる中高一貫教育の学校出身者。そして出身地は東京が3分の1、関東まで含めると3分の2。親の年収平均1034万円。(2001年)

 というデータが残っております。より新しいデータがあればよいのですが、とりあえずこれで話をいたします。確かに東大合格者の親の年収の平均が一千万円を超えているとなると、いかにも富裕層の子弟が入学しているように見えます。
 しかし年収の平均値だけでそう決めることは本当はできません。年収の分布がわからなければあまり突っ込んだことは言えません。それが正規分布に近いと推定できない時に、平均値は必ずしも有効な代表値ではないのです。


 第二次小泉改造内閣で入閣した11閣僚の資産公開では、公開された平均資産額が7707万円でした。しかしこの値は新聞の一面を飾る意味のある数値であったかは疑問です。麻生太郎総務大臣がいたからです。彼の資産額はおよそ7億円とされていますが、彼を除いた他の閣僚の公開資産の平均は1500万円程度。彼一人の資産分が大きく平均値を引き上げています。この7707万円という額が閣僚の資産の代表値としてふさわしくないのは明らかでしょう。
 またかつて一般家庭の平均貯蓄額というのが話題になった時がありました。ここで出てきた数値は約800万円。多くの家庭はうちはそんなに貯めていないと驚いたのでしたが、これもまた上と同じような錯誤がありまして、一部の資産家の貯蓄額が全体の平均額を大きく持ち上げてしまっていたのです。ちなみに中央値を取ったら300万円台だったそうで、こちらの方が全体の代表値として適当と考えられるのは言うまでもありません。
 平均値が適当な代表値でない場合はいくらもあるのです。それが適当なのは、正規分布のように中央付近の度数が高い山型の分布になっている時で、東大合格者の親の年収がそういう分布かどうかわからない場合は平均だけでは確実なことは語れないのです。


 また上記引用部分からは、東大入学者が関東に偏重しているのは問題だ。関東出身者のみがどんどん年収の高い「階級」を作ってしまう。とか、東京出身者のみに特権的に東大へ入れるような「階層」格差が固定されてしまいそうだ…などという議論も出そうですが、そういうものは見たことがありません。
 

 こういう風に、平均値を以って語っているところでちょっとおかしいなと思い、他の条件については触れられず「年収」だけで語られるところにあやしさを覚えた、というところが私の違和感のきっかけでした。
 まとめられるようでしたら、数日中に日記に書きたいと思います(それ以前に説得的な議論を見て納得したり、うまくまとめられなかったりした時には書きません(笑。まあそういう場合にはその旨は書きますので…)。