ものぐるひ

 仏教において「拘り(こだわり)」というのはとても悪いニュアンスの言葉です。それは執着(しゅうじゃく)であり、ものごとにとらわれてしまうことです。拘りを捨てなければ解脱できませんし、成仏は遠くなってしまいます。ですから本来「こだわりのラーメン屋」や「有機栽培の野菜にこだわる人」などは、救いから遠い可哀相な存在なのです。
 しかしなぜか凡夫の私などは徹底したこだわり、ものぐるひに近いその態度に「人間らしさ」の極みを見てしまうことがあります。これと似た感情が、ポジティブな「こだわり」の用法、たとえばオタクなどという言葉へのほのかな好ましさを生んでいるのかもしれません。


 『宇治拾遺物語』(巻三の六/絵仏師良秀、家の焼くるを見て悦ぶ事)

 是も今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出きて、風おしおほひて、せめければ、逃出て大路へ出にけり。人の書かする仏もおはしけり。また衣着ぬ妻子なども、さながら内に有けり。それもしらず、たゞ逃いでたるをことにして、むかひのつらにたてり。みれば、すでに我家にうつりて、煙ほのほくゆりけるまで、大かた、むかひのつらに立て、ながめければ、「あさましきこと」とて、人ども来とぶらひけれど、さわがず。「いかに」と人いひければ、むかひに立て家のやくるを見て、打うなづきて時々わらひけり。「あはれ、しつるせうとくかな。年比はわろくかきける物かな」といふ時に、とぶらひにきたる者ども、「こは、いかにかくては立給へるぞ。あさましき事かな。物のつき給へるか」といひければ、「なんでふ物のつくべきぞ。年比不動尊の火焔をあしくかきけるなり。今みれば、『かうこそ燃えけれ』と心えつるなり。是こそ、せうとくよ。この道を立てて世にあらんには、仏だによくかきたてまつらば、百千の家も出きなむ。わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物をもをしみ給へ」といひて、あざわらひてこそ、たてりけれ。
 その後にや、良秀が『よぢり不動』とて、今に人々めであへり。

 簡単な現代語訳をつけてみました。

 これも今となっては昔の話であるが、絵仏師の良秀という者がいた。(ある日彼の)家の隣から出火し、風が火を包んであおり、(彼の家に)迫ったので、(良秀は)逃げ出して大路に出た。(家には)人に注文された仏(様の絵)もおられた。また、これという服も着ていない妻子達も、そのまま(家の)中にいた。それもかまわず、ただ逃げ出したのをよいことに、(良秀は道の)向こう側に立っていた。見れば、すでに(火は)我が家に(燃え)移って、煙や炎が出始めても、大体(そのままで)、向かい側に立って、(火事を)眺めていたので、「あきれたもんだ」と言って、知人がやってきて御見舞いの言葉をかけるが、(良秀は)さわがない。「どうして(落ち着いていられるん)ですか」と人々は言ったのだが、(それでも良秀は)向かい側に立って家が焼けるのを見て、(さらに)うなずきながら時には笑みさえ浮かべるのだった。「ああ、大変な儲けものをしたもんだ。今まではまずく描いていたものだな」と言うと、見舞いに来た者達が、「まったく、どうしてこんなふうに(黙って)お立ちなのですか。あきれたことだ。もののけに憑かれなさったのか」と言ったところ、「どうしてもののけが憑くはずがあろう。長年不動尊の火炎をへたに描いていた(のがわかった)のだ。今見れば、『こんなふうに燃えている』と得心がいったのだ。これこそ儲けものさ。この道(=仏画の道)に入って生きているからには、仏さえうまく描き申し上げれば、百や千の家も(すぐに)作れるだろう。お前さん達は、これといった才能もおありにならないのだから、(それらしく)物惜しみをなされませ」と言って、(人々を)あざ笑って、立っていた。
 この(事件の)後だろうか、良秀の『よぢり不動』の名で(彼の絵が有名になったのは。その絵は)今でも人々がもてはやしている。


 ここまで突き詰めた「ものぐるひ」になれない私は、ただ憧れるばかりです。わたしも「させる能もおはさぬ」普通の人ということなのでしょう。「認めたくないものだな」ではありますが…。