祖母の人生

 昨日は祖母の一周忌でした。祖母は大正元年生まれ、90を超えての大往生でしたが、倒れて病院に入るまでは普通に家事をし、畑や庭に手を入れる元気さがありました。若いときから働きづめの人生だったと聞いています。20代の初めに(当時としては遅い)嫁入りをし、嫁いだ先の夫(祖父)は足に障碍を持っていましたので、その分まで働いたそうです。第一子は赤ん坊の頃に亡くしてしまいましたがその後四人の子を育て、皆大学まで出しました。
 8人の孫に早くから恵まれましたが、残念なことに私を筆頭に皆なかなか結婚せず、やっとひ孫に会えたのは80も半ばを過ぎてからで、実はまだ3人しか…。そこらへんはちょっと忸怩たるものがないではありませんが、祖母の生涯に悔いはなかったはずと皆感じておりますし、誰からも好意を持たれるすばらしい人でした。控えめで、意地悪はされてもしたことがなく、静かににこにこしている田舎のおばあちゃんです。真に尊敬できる生き方をした人だったと、誇りをもって言いたいと思います。


 この祖母を最後にこれで近い親族から明治・大正生れはいなくなりました。

  降る雪や明治は遠くなりにけり  (中村草田男

 この句が詠まれた昭和11年からもすでに70年が経とうとしています。

祖母の日記

 法事で紹介されたのですが、祖母は誰にも知られずに日記を書いていたそうです。大学ノートで5、6冊、70を過ぎてからのもので、亡くなってから半年過ぎてから見つかったとのこと。最初の方は漢字の練習…そしてカナ釘流の文字で、少しずつその日の身の回りのこととか感想などがとつとつと書きつづられていました。
 そして一つだけ紹介された日記は、嫁入り先の当主(私の曽祖父)が、県内の先駆者百人とかいう企画で駅構内にパネル展示されたのを見に行った時のことでした。当時死ぬほど苦労した家族の一人として、うれしくて涙が出たと書いてあったそうです。