難しいこと

 昨日の日記では(はてな自動トラックバックを有効にしておりますので)Soredaさんのセカンド・カップはてな店の記事にトラックバックが送られましたが、ご丁寧にレスポンスをいただきました(最新のトラックバック欄にTB)。ありがとうございます。トラックバック後の一言は私も手が回らない方ですので、どうかお気になさらずに。またスパムTBとか以外でしたら、トラックバックだけでも私も全くOKです(>皆様)。そういうものと理解しております。


 さて、いろいろ先走っても何なので一つだけマッコイさんとのやり取りで落としたもの(コメント欄には長すぎでしたので)を付記いたします。


 新自由主義批判は、それが経済的勝者と弱者を生みだすという論点を持ちます。でもそれは基本的には程度問題であり(それが根絶された社会を私は知りません)、勝ち負けという言葉に振り回されずに見て行きたいと私は思っています。(マッコイさんがそうだというわけではありませんが)その批判は「勝ち組はあぶく銭で豪奢な生活をしている」と劣等感を煽り、「負け組は生命の危機に瀕している」と危機感を煽る方向にむかっているのではないかと思います。そしてしばしばそれは「弱者の命を守れ」という倫理的命令に直結されるわけですが、このレベルに至ってそれを否定するのは普通できません。だからこそ私にはそれが倫理の錦旗というか「ジョーカー」の力に頼る一方的なものに見えてしまうわけで、弱者を生みだすというところから弱者の命が危ないというところまでの間の中間の議論を飛ばしてしまっている議論ではないかと思うのです。


 弱者の命の危機という議論では、よく自殺者の増加が問題にされています。たとえば「自殺者の年度推移」(←こちら)のグラフでわかるように、平成10年あたりからのその増加は確かに看過できるレベルではありません。
 直観的に「経済的弱者」が増えれば自殺者も増えると見るのは私も同様です。特に不況の直撃を受けた無業者の自殺者が多いと思われますし、ホームレスが非常にめだってきた時期ともある程度重なると感じています。この部分の対策が必要という意見にも同意はします。
 しかしこのデータを「新自由主義批判」に直接結びつけるのにはためらいも持ちます。手順がいくつか飛ばされているような気がしてなりません。どれだけ「新自由主義」なるものが自殺者の増加に影響しているのか、そこらへんの評価が難しいのです。


 自殺率の国際比較(←こちら)を見ても確かに日本の自殺率は決して少ないとは申せませんが、まずここから考慮されるのは社会不安の程度とか好不況の波といったものだと思います。そして、社会保障・福祉制度の充実度というものがどれだけここに関わるかを見ますと、たとえば高福祉国家として知られるデンマークの自殺率よりも貧富の格差が大きいアメリカの自殺率がかなり低いところを見ても、それが鍵であるとは即断しかねるものがあります。
 日本の自殺率の高率はどこからくるのでしょう。たとえばそこに自殺をタブー視するキリスト教国家ではないことが影響していないかとか、不況の際に自殺を緩和すべき家族や地域共同体の紐帯が弱まっているからではないかとか、様々考えられると思います。(それが答えだとは言いませんが)


 このようにいろいろ考えてみますと、新自由主義を「ラスボス」と考えてそれを倒すことのみが唯一の解答だとはどうしても思えないのです。百歩譲ってそれがバラモスであったとしても、ゾーマがまだいるぞと…(古)
(※という部分が書ききれずに落としたところでした)


 Soredaさんの記事をはじめ、いくつかのブログで「常識的なことを疑う」ものに出会いますと何かわくわくします。それを自力で追求してしまうところ(愛蔵太さんを代表とするようなところ)には敬服いたしますが、私はそこまでやるのには非力で、どうもいつも舌足らずになりがちです。で、せめて気になるところは気になると言い続けるぐらいはしておりますが、むしろいくつかの突っ込みで自分が何を言いたかったのかがわかったり、いろんな意味で刺激を受けることしばしです。まあその程度なのですが、小骨のトゲぐらいの意味は持ちたいものだと思ってはおります。